「猫、だね」

 田舎者ならではの距離感では流石にと、二人分くらいの間隔を取って並び、目線を同じく子猫の方へと向ける。
 少女はこれといったリアクションはしないまま、じっと子猫を見つめている。

「……ねこ」

 ふと、小さく呟いた。
 それは分かっているのだけれども。その猫を見てどうしたのか、と尋ねたつもりだったのに。
 僕も言葉足らずなところはあるけれど。

「えっと…?」

「ベンチの上で丸まってた。気持ちよさそうだったから触ろうとしたら、ビックリして逃げて」

「降りられなくなった、と」

「…うん」

 やや低めの声は、見た目の通りクールで“大人っぽい”といった表現が似合いそうな、落ち着いた声音である。

「なるほどね。ちょっと待ってて」

「…え?」

 桜の木に向かって歩き出した僕の後ろで、え、あ、と聞こえる。何がそんなに気にかかるのだろうか。

 しかし、田舎の木々と比べて、都会の桜は随分と上りやすそうだ。
 程よく所々にある窪み、幹枝の太さ。
 ここでもやはり、田舎者らしいと言うか、人好しというか。そんなものが芽生えてしまって、僕は桜の木を登り始めた。

 眼下では、少女が不安そうな表情を浮かべていた。
 こんな木から落ちるようなヘマはしないというのに。
 再び上に向き直ると、子猫のいるところまで一息に登りきる。そのまま子猫を抱きかかえると、

「危ないよ、ちょっとどいてて」

 忠告一つ、すぐにその場から飛び降りた。

「わわ――きゃっ!」

 地面との接触寸前、少女は両手で目を覆って、起こり得る惨状を見ないようにしていた。
 生憎の無傷で着地を決めた僕は、少女に一声かけた。
 恐る恐る両手を開く。

 向こうではこれくらい普通だった。都会っ子は、やはりあまり自然とは戯れないらしい。

「スコティッシュか。珍しいね、野良なんて」

 天に掲げた子猫が愛らしく「にゃーん」と鳴くと、少し遅れて少女が声を上げた。

「珍しいのはお兄さんの方だよ。怖くないの?」

「怖い? うーん、別に」

「全く? 全然? こんなとこで木登り、怒られたりしない?」

「怒られたりって――あぁ、そっか。僕、田舎もんだけえ」

「けー…?」

 しまった。つい方言が。

「コホン。そ、それより…!」

 無理やりに話題を少女のことへ。
 聞けば、これから少しした時間に約束があるのだけれど、予定より随分と速く出てきてしまった為に、暇つぶしを兼ねてやって来ていたらしい。

 何だか似たような境遇だと、僕のここに来た理由も話すや、少しばかり表情も柔らかくなって、なら少し話でもしようかという流れになった。
 先にいたベンチへと二人して腰かけ、抱きかかえていた子猫を少女の膝へ。

 ついさっきビックリさせてしまった手前、どうしたものかと両手は空をなぞっていたが、勝手に乗せられたというのに逃げもしない子猫の様子に、やがて恐る恐る手を伸ばした。
 細い指が背中に触れた瞬間、子猫は身震い。それに伴って少女もビクッと手を離すが、再び丸まって大人しくなった子猫にもう一度手を伸ばすと、今度は触れるだけでなく撫で始めた。

 少女の柔らかな太ももが気に入ったのか、子猫は頬擦りさえしている。
 その様子があまりにも可愛かったようで、少女の方も次第に調子にのって「うりうり」と顎を指先でこね回す。

「あったかい」

「生きてるからね。あと、毛皮」

「人にもあったらもっとあったかいのに…」

「いや気持ち悪いでしょ。妖怪剛毛人間とか、絶対目を逸らすって」

「……たしかに。いらない、毛皮」

 得ようとして得られるものでもないのだけれど。
 やがて子猫が寝付くと、少女は優しく手の平で背中をさすりはじめた。

 ゆっくり、ゆっくりと、慈しむように。
 その様はまるで、幼子の昼寝に付き添う母親のようだ。