「紀子ちゃんは春迄高校生だったからこういう店は初めてじゃない?」

「ええ。素敵なお店ですよね」

「ありがとう。毎月赤字ばかりで、干上がってしまいそうやけどね」


 若いママを見ていて、エル・ドラドの凛子を思い出した。

 何と無く雰囲気が似ている。

 勝又と紀子の他には客は居なかった。

 とりとめの無い会話のやり取り……

しかし、紀子にとっては交す一つ一つの言葉に、他人には判らない新鮮な喜びがあった。


 淡い恋心……


 考えてみれば生まれてこの方、そういうものとは無縁であった。


 ときめき……


 ふと、昔読んだ恋愛小説の中の場面を思い出していた。

 気もそぞろに言葉を交し、グラスを傾ける。

 意味も無く笑顔が溢れた。

 三杯目の水割り迄は記憶があった。

 そこから先は……




 耳元に吐息を感じた。

 自分の体が重い。

 金縛りにでもあったかのように身動きが出来ない。

 むずがゆい感覚がする。

 突然、身体中に電気が走った。

 髪を振り乱しながら汗を流している勝又の顔が目の前にあった。


 夢?

 何?

 何なの?


「紀子、好きだ、一目見た時から……」


 ええ、あたしも……


 と言うつもりが、何故か声が出なかった。


 段々と感覚が鮮明になって来るとともに、脳髄の奥が痺れるような快感が訪れた。

 快感の高まりをはっきりと感じられた瞬間、自然と声が出た。


「あっ、ああ……」


 その後は声にならなかった。

 無我夢中で男の背中に爪を食い込ませていた。

 まだ完全に覚醒し切っていない紀子の意識は、思わずカツヤに抱かれた日々を思い出していた。