これに対して、取材したディレクターの方が。

「ちょっと考えられるのは、事故のあとに校舎が火事になったんですね」

昭和43年2月6日、岩手日報の新聞記事に、「黒沢尻小が火事」という見出しが。

そのとき、木造校舎がほとんど焼けたけど、一ヶ所だけ残ったトイレがあった。
そのトイレは、事故があったトイレとは別の物なんだけど、そこは木造のままで、また次の世代まで「怖いトイレ」として語り継がれ続けて、そこで噂が広がったというのが考えられると。

でもなんで、トイレの花子さんの話が広まったのか。
時間を超え、場所を超え、人から人に伝わり、2021年のいま、こうしてテレビ番組がとりあげた。
なんだか不思議な話ですよね。

最後に、カズレーザーさんが。
「この番組の調査をきっかけに、あの地域が、花子さん発祥の地みたいな町おこしを起こしたら、すげぇ、興ざめしますけど」

うん、それはちょっと……。「花子さんまんじゅう」とか作らないでほしいですね。(笑)