所どころできしむ階段を昇ると、右が弟の健の部屋で左が咲耶の部屋だった。時間と気配からして健はまだ帰宅してはいない。

咲耶は、猫の引っかき傷のある自室の(ふすま)を開ける。

「どうぞ」

女の友人以外招いたことのない部屋は、自分で言いたくはないが色気に欠ける。

少し大きめの本棚には雑多な分野の書籍が並び、女子が好みそうなものはわずかだ。
クローゼットの横にあるチェストの上には、必要最低限の化粧品類とヘアブラシ、卓上ミラーが整然と置かれている。

「特に何も目新しい物がなくて、つまらないでしょ?」

いまさら和彰に見せて恥ずかしい物などないと思っていたが、実際は違った。
熱くなった頬をごまかすように、咲耶は南向かいの窓を開け放つ。

(なんか、やっぱり緊張するな)

しばしの沈黙ののち、流れこむそよ風にまぎれるような静かな口調で、和彰が言った。

「咲耶、今ならまだ間に合う」

高台にある市営住宅からは、付近の民家や田畑、大通りに面した店舗などが見渡せる。遠くの山あいに、陽が沈みかけていた。

「お前は“陽ノ元”を選んで後悔はしないのか」

寄り添うように咲耶の隣に立った和彰の、抑揚ない問いかけが耳に落ちてくる──後悔。
一葉が放った「残酷な神々の世界」「出逢わなければ良かったと思うだろう」というフレーズが、思い返された。

「後悔は、すると思う」

ぽつりと、咲耶の唇からこぼれた本音に、和彰がすかさず言った。

「ならば、この世界に──」
「後悔はするの、どちらを選んだとしても」

和彰の言葉をさえぎり、咲耶は強い口調で言いきった。

「この世界に残るとすれば和彰との記憶が無くなる訳だから、厳密にいえば後悔はしないよ? ううん、できないことになる。
──だけど」

咲耶は、隣に立つ長身の青年の片腕を、ぎゅっとつかむ。

窓の外から視線を転じれば、オレンジ色の夕陽が和彰の端正な顔立ちに、物悲しくも美しい陰影をつけていた。

「いまここにいる私が知っているの。あなたとの大切な想い出を失うってことを。
それは、“陽ノ元”を選んだ時に感じた未来での後悔(・・・・・・)と同じなの」
「咲耶……」