どちらかしか選択肢はないと思っていただけに、犬朗の提案は咲耶にとって思いもよらぬものだった。
当然、素直にうなずいてしまう。

「それは……そうできるものなら、そうしたいですけど……」

異世界である“陽ノ元”との往復が、簡単にできるというのなら。

だが、できない理由があるからこそ、咲耶が“陽ノ元”を選んだ場合、自分の存在が抹消されるのではないか。

そう考える咲耶の前で、一葉はわざとらしく大きな溜息をついてみせた。

「……“陽ノ元”とこの世界の往き来は『神の領分』であれば容易いことでしょう。
現に、あなた方はこうしてこの世界に来ている訳ですしね。

ですが」

そこで言葉を区切り、一葉は咲耶を見据えた。

「あなたは、治癒と再生を司る“神獣”の“花嫁”で、類い(まれ)なる“神力”をお持ちのはず。
その『里帰り』とやらの際、完治の難しい病に伏した親兄弟……知人でも構いません。その方を前に、何もせずにいられますか?」

正面から突きつけられた事実に、咲耶は息をのむ。
目の前で、咲耶の知る『誰か』が死に直面していたら──。

“陽ノ元”にいたとき同様、自分は“神力”を遣ってしまうはずだ。

(見殺しになんて、できない)

“仮の花嫁”が容易に戻れて、名実共に“花嫁”になった者が容易に戻れないとされる理由が、ここにあったのだ。

咲耶は、定まっていたはずの己の心が揺れたことに痛みを感じながら、ゆっくりと首を横に振った。

「……いいえ」
「でしょうね」

あっさりと肯定し、一葉はトレイを手に立ち上がる。咲耶たちを見回しながら、冷たく言い放った。

「ここは“陽ノ元”ではありません。この世界に存在しないはずの『奇跡の“神力(ちから)”』によって、死ぬはずの人間が生き延びるなど、あってはならないことなのですよ」

そのまま、部屋を去り行く一葉の背中と咲耶たちをおろおろと見比べたのち、二葉が頭をかかえる。

「ああっ、咲耶様に対してなんたる無礼!」

言って、よろめくように畳に額をつけてみせる。

「不肖の兄に代わり、どうぞこの二葉めを、お気の済むまで存っ分に、いたぶってくださいまし、咲耶様っ!」