そこで、愁月は苦しそうに息を吐いた。一向に要領を得ない話の成り行きに、犬朗はしびれをきらす。

「で? 旦那はいま、どこにいるんだよ?
この邸の幻に匂いだけ残して、もう咲耶サマを追っかけて、異界に行っちまったってのか?」
「いや……いまはまだ、この世界──“陽ノ元”に、おる」

わずかの間、沈黙が落ちる。同時に“主”の『気』を探った“眷属”のうち、思い至った一方の甲斐犬が訊いた。

「ハク様は“神獣ノ里”に、行かれたのですか?」

現世(うつしよ)に感じられない『気』の行方は、当人が隠していれば格下の自分たちには、それ以上たどることはできない。
ましてや、常世(とこよ)に近い場所にある“神獣ノ里”ならばなおのこと。

犬貴の確認に、愁月はうなずいてみせ、話を再開した。

「“神獣ノ里”の長たるヘビ神は、三つの特性を有する……」

香火彦(かがひこ)』という老いた姿の神、『速男(はやお)』という青年の姿の神、『(こう)』という幼き姿の神。

“毛脱け”と呼ばれる心身の生まれ変わりのような事象を、三つの特性の神が繰り返す。
ほぼ六十年周期のそれに、いまが当たる時だという。

「そして……()の神は、自分以外のヘビ神が為したことを、否定しようとする傾向に、あるのだ……」
「──つまり、あんたは旦那に『何か』けしかけたんだな?」

ようやく愁月の話が見えてきた犬朗は、結論をうながす。果たして、愁月はふたたび微笑みを浮かべた。

「そう……。いまのヘビ神で居られるのは、煌様。彼のお方は、盤上の遊戯を楽しむように人や神の運命をもてあそぶ。
ならば、神名をもって誓約を交わそうと、持ちかけるとよい……と、助言した」

そこで愁月は、おもむろに目を閉じる。

「それを、面白いと、受けて立つお方であろうから、と」

バチッ……と、犬朗の左前足の先で小さな火花が散った。気づいた黒虎毛の犬が、身体ごと止めに入る。

「待て、赤いの! 愁月様の話は、まだ終わってはいない!」
「どけ、黒いの! こいつ……旦那に自分の名前を使って賭けをしろって、そそのかしたんだぜ!?」

神の名を(もっ)て誓約をする──それは、自分のすべてを賭け、約束することを誓うということ。
互いに神名(じぶん)を賭ける以上、その見返りを互いに求めるはず。

「旦那に不利な賭けになるに、決まってるじゃねぇか!」