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ようやく“主”たちに訪れた、平穏とも呼べる春先の晩。

地鳴りと共に強大な『気』を感じ、まどろみの地中より飛び出せば。
自分を『犬朗』と名付けた“主”が、獣の匂いをさせる中年女に捕らわれていた。

「っ!!」

考えるよりも早く、動いたのは左の前足。帯電された(いかづち)の力は、宙空を走る光鎖(こうさ)となる!

意表を突く攻撃──の、はず、だった。

「引っ込んでおれ、雷犬!」

こちらを見もせずに、振り払われる片腕。あっけなく相殺された力は、闇夜に火花だけ散らし消え去った。

支配下に置く『水の龍』と相反する『火の力』を用いるのは、姿こそ中年女だが、気配と匂いから察するに──。

(イノシシの、化けモンじゃねぇか)

『化け物』と称したくなるほどの圧倒的な力と、()えないほどに重ねられた魂の年数。
犬朗が知る人外のモノのなかでは最高齢だろう。

(……コクのじいさんよりも上かよ)

舌打ちする。放つ『気』が属するのは、犬朗のもう一方の“主”と同じもの──神聖なる、存在。
相棒ともいえる古い付き合いの黒虎毛の犬が、犬朗と同じく反射的に“主”を護ろうとした攻撃を、女は言霊(ことだま)によって制圧した。

『神の領域』への口出しも力添えも、自分たち“眷属”には許されぬもの──“主”の命令がなければ。

「……香火彦に……願い奉る。私の“花嫁”を、本来あるべき時空へと、戻してやって欲しい……」

しかし、助力の(めい)を期待し、事の成り行きを見守っていた犬朗の耳に届いたのは、信じがたい“主”の発言だった。


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「──旦那ッ!」

半透明な水の龍が、自らの“花嫁”を乗せ、藍色の空へと飛翔していく。
その様を、ただ見つめている美しき白い“神獣”の“化身”。
本性である白い虎の孤高を思わす、冷たい横顔。

(……ッ、キレイなだけじゃ、役に立たねぇんだよ!)

相棒が聞いたら八つ裂きにされそうな暴言を内心で吐き捨てたあと、犬朗は残された“主”に詰め寄る。