「咲耶。桜は好きか」

唐突に和彰に訊かれ、驚いて咲耶は身を起こした。

「好き、だけど……。なんで?」
「そうか」

問い返しには応えず、和彰は咲耶をひざから下ろすと立ち上がった。

「では、行くぞ」





和彰に手を引かれ表に出ると、犬貴が自らの“術”を遣い、(まき)を割っていた。
咲耶たちに気づくと、片ひざをつき、こうべを垂れる。

「出掛けてくる。案ずるな」
「お気をつけて」

素っ気なく告げる和彰に対し、顔を上げた黒虎毛の犬の眼が、見守るモノの優しさを宿す。
……愁月に貫かれた四肢は、“主”が為した慈悲の御力により本来の姿を取り戻していた。

「行って来るね、犬貴」

咲耶も声をかけると、誠実で生真面目な“眷属”は、いつになく穏やかな声音で応えてくれた。

「行ってらっしゃいませ、咲耶様」

ふたりの“主”を見送ることができる、無上の喜びをかみしめるように。





降り注ぐ陽差しは穏やかだが、和彰の歩幅に合わせて行く道に、咲耶の身体は次第に汗ばみ始めた。

「和彰、どこまで行くの?」

しびれをきらして訊いた咲耶に、和彰が指を上げる。

「もうそこまで来ている」

長い指が差し示した方向を見やり、咲耶は思わず声をあげた。

「あれって……愁月、さんの邸につながってるっていう……」

見覚えのある二つの小石の山。道なき道への(しるべ)となるものだ。
『あの向こう側へ』と行くために“眷属”らの力を借りたのが、随分と昔の出来事に思えた。

咲耶は傍らに立つ長身の青年を見上げ、つないだ手に力を込める。

「愁月、さんの所に、行くの?」

──ずっと気がかりだったこと。
『師』と慕っていた愁月に裏切られ利用されていた事実は、咲耶との同化によって和彰自身も知ることになったはずだ。

たとえそれが、愁月の行き過ぎた愛情(・・・・・・・)によるものだったとしても、当人にとっては納得し難いものに違いない。
そう思う咲耶の前で、和彰はゆるく(かぶり)を振った。

「師の邸に着くまでの道だ。──目を閉じろ」