道幻との因縁は、動機としては弱い気がする。
少なくとも和彰と同化した時に感じたものからすれば、愁月が私怨をはらすために和彰を利用するような人間には、到底思えなかった。

──風が、流れる。
思考にとらわれていた咲耶をかばうように、和彰の両腕が咲耶を覆った。

「もし」

気取った高い女性の声音が耳に入ったのは、その直後。
自分と和彰以外、誰もいないと思われた空間で突如としてかけられた声に驚き、咲耶はそちらを振り返る。

癖のある赤茶色の髪を変わった形に結った中年の女がいた。
ふくよかな身体が白い小袖(こそで)緋袴(ひばかま)に押し込められている。

「“下総ノ国”の白い“神獣”とその“花嫁”とお見受けいたしまする。
わたくしは猪子(いのこ)。カカ様に“禊場(みそぎば)”へと案内するよう申しつかっておりますれば、いざ」
「カカ……()()(ひこ)か」
「………………さよう。ついて参るがよい」

和彰の確認を肯定した女の頭頂部にある髪が、一筋だけチリッ……と燃えたのが分かった。女の、怒りを表すかのように。

緊張が走ったのは一瞬のこと。月明かりだけが頼りの夜の闇へといざなうように女が歩きだした。

猪子と名乗った女の後を追い、和彰と続く。一抹の不安がよぎり、和彰の衣をつかもうとした咲耶の手は、むなしく空をつかんだ。

(あ、そっか……私からはさわれないんだ……)

さびしい想いをにぎりこむ。すると、気づいたらしい和彰の手が伸びてきて、咲耶の手に重ねられた。

人肌とは違うが、そのぬくもりは和彰の心を示すあたたかさだった。
嬉しさと同時にこそばゆさも感じつつ、咲耶は気になっていたことを小声で和彰に尋ねてみた。

「『カカ』とか『カガヒコ』って人の名前なの? 和彰の知ってる人?」
「ヒトではない。この地を統べるモノの名だ」

ちらりとそんな咲耶を見やってから、和彰は前を行く猪子に視線を戻す。

「カカとは、この“神獣ノ里”の(おさ)だと師に聞いたことがある。その真名が香火彦だと。
あの者はシシ神の“化身”で、香火彦の側女(そばめ)のはずだ」
「えっ、そうなの? じゃ、ちゃんとあいさつした方が良いんじゃない?」
「向こうは我らが何者かを知っている。なぜわざわざ挨拶をする必要があるのだ」