「……そんな……」

いつもなら感じるはずの熱が、右手に集まってこない。

咲耶は、ふたたび自らの“証”に目をやった。
変わらずにある三本の白い筋。和彰に“契りの儀”でつけられた痕。
だが──この身に確かに宿っていた“神力”は、嘘のようになくなっていた。

「……納得できたか?」

和彰とは違う種類の冷たい視線は、咲耶を突き放すような厳しさを含んでいた。

「その上で──酷なようだが、そなたに渡す物がある」
「渡す物……?」

拠り所であった“神力(ちから)”を文字どおり失った咲耶は、ぼんやりと愁月を見返す。
すっ……と立ち上がった愁月が、咲耶の側でかがみこむと、懐に入れた手を差し出してきた。

袱紗(ふくさ)に包まれた形からして、丸い物のように見える。愁月の指先がおもむろに開き、自らの手のひらで広げてみせた。

小さく蒼白い、玻璃(はり)の玉だ。ごく最近、目にしたような気がして、咲耶は眉を寄せた。


(あの時、道幻(どうげん)が飲みこんだ玉に、似てる……)

気づいた瞬間、咲耶の身に寒気が走る。しかし、それよりももっと恐ろしい事実を、愁月が口にした。

「これは、ハクコの魂──“精神体”を具現化したものだ。
正しくは、“御珠(みたま)”というのだがな。
咲耶、そなたは、この“御珠”と共に“神獣の里”へ行き、(みそぎ)をせねばならぬ」





どこをどう歩いて来たかは覚えていない。
何も考えられなかった。

「『裏の道』から来たのだから、『裏の道』から送り届けようぞ。……迷うこともなかろうが、気をつけるがいい」

最後にそう愁月から声をかけられたが、咲耶の耳に聞こえはしても、言葉として咲耶の胸に届けられはしなかった。

ふらふらと、夢遊病者のような頼りない足つきで、咲耶はようやく自らの屋敷にたどり着く。

「姫さま……!?」

そんな咲耶を見て、椿(つばき)が血相を変えて駆け寄ってきた。

愁月の所へ“眷属”たちと共に向かったのを見送っている椿は、咲耶の身に、何か良からぬことが起きたのではないかと察したらしい。
懸命に咲耶を気遣い屋敷内へと導き、とにかく温かい物をと、芋がゆを差し出してきた。

「どうぞ、召し上がってくださいませ。……多少なりとも、姫さまの『お力』になるはずです」