寝殿造りの広い邸内には、自分と“下総ノ国”の“神官”である愁月(しゅうげつ)の他に、人は存在しない。
邸の幻をつくりだした者が、護り手である“眷属(けんぞく)”たちも排除してしまった。

あまりにも静か過ぎるその異空間で、自らの不自然な息づかいだけが無用に響く。

「……私が“神力(しんりき)”を失っている……?」

言われた内容に、理解が追いつかない。
咲耶(さくや)は、右手の甲にある白い“痕”に目を向けた。

白い“花嫁”である咲耶と、白い“神獣”である和彰(かずあき)をつなぐ、目に見える“証”。象徴するは、『治癒と再生』。
代行者として得ているはずの“神力”が、いまの咲耶にはないという。

「そんな……何を言ってるんですか」

ぎこちなく笑い飛ばす。これも、愁月お得意の惑わし戦術ではないのかと。

「あんなこと、と、そなたは申したな。ならば、あれが為した行いを目にしたはず。
──人を(あや)め、血に染まった、白き“神獣”の“化身(けしん)”を」

にわかに受け入れ難い事実に、呆然と立ち尽くす咲耶を、目を細めて愁月が見上げてくる。


「血の(けが)れを受けた白虎(はくこ)は、もはや『治癒と再生』を司どる“神獣”たりえない。
代行する者である“花嫁”のそなたに“神力”が宿らぬのも道理であろう」

未だ事態がのみこめずにいる咲耶に、愁月が続けて言った。

「信じられぬのなら、綾乃(あやの)の“神の器”に、治癒をほどこそうとしてみるがよい。己の身の内に、“神力”がないことを実感できるはずだ」

一瞬、綾乃を『再生』させるため、愁月が咲耶に“神力”がないと思いこませ、けしかけているのかと考えた。
しかし、和彰と“眷属”の身を掌握している愁月が、そのような無駄な策を用いる必要がない。

だとすれば──。

(私の“神力”は本当になくなっているの……?)

半信半疑のまま、綾乃の傍らにひざまずく。刃を受けた痕跡のある首筋へと、右手をかざした。
白い“痕”のある手の甲が熱くなる、“神力”の発動する兆し──。