(“眷属(みんな)”も和彰も……この人に奪われてしまった)

咲耶が頼れるのは、己が身ひとつだけ。そして、代行者としてもつ“神力”のみ。

愁月のやり方は狡猾(こうかつ)だ。咲耶の性格を知っているからこそ、咲耶自身ではなく、周囲の者から手玉に取ったのだろう。

犬貴や犬朗の警戒を解かせるために、あえて咲耶に“眷属”たちの力を遣わせない選択(・・・・・・・)をさせたのだ。

(進むしかない)

「咲耶に用がある」というのは紛れもない愁月の本心に違いない。ならばまだ、咲耶にも交渉の余地はある。

「……分かりました」


必死に自分自身にそう言い聞かせて、屋敷内へと向かう愁月のあとに続いた。





いくつもの几帳(きちょう)が立ち並ぶ奥。一段高くなった畳敷の上に、単衣(ひとえ)を掛けられ横たわる若い女性の姿があった。

「……この人……」

見覚えのある目鼻立ち。美しいというよりは、可憐な少女といった感じだ。
眠っているようにも見えるが、咲耶はすぐに、その者が息をしていないことに気づく。

精巧に造られた人形のような少女の側に、愁月が腰を下ろす。伸ばされた手が、掛けられた単衣をめくった。

「……綾乃を知っておるのか?」

白い(うちぎ)をまとう少女の首筋には、刃物で裂かれたような傷痕がある。
痛々しさに顔をそむけかけた咲耶は、愁月の口からでた名前に動きを止めた。

「綾乃……?」

瞬間、咲耶の頭のなかで、犬貴から聞き及んだ話と自らの記憶のなかの若い女の姿がつながった。あれは──。

「“神獣ノ里”で……」

初めて和彰の真名(なまえ)を口にした時。
瀕死(ひんし)の和彰と“仮の花嫁”という立場から抜け出そうとしていた咲耶の前に、妖しげな半透明の存在が現れた。

「和彰の名前を……在り来たりだって……」
「綾乃が申しそうなことだな」

くっ……と、のどの奥で笑う愁月は、心なしか本当に(・・・)愉快そうな表情を浮かべた。咲耶は混乱しながら愁月に問いかける。

「綾乃、さんは……いまは現世(うつしよ)にいないって、犬貴が……」