「…………怒らないで聞いてよ? ……犬朗、治しちゃった」

告げた瞬間、息をつかれた。あきれるというより、得心がいったという表情だった。

「……そうか」

わずかなのちに相づちをうった和彰に、今度は咲耶のほうが納得がいかない気分になる。

「怒らないんだ?」

ホッとしたのと同時に、ほんの少しの不満が、咲耶のなかに芽生えた。
和彰が以前、咲耶に見せた顔を思い、今まで犬朗を治すのをためらっていたからだ。

(なんだ。こんなことなら、もっと早く犬朗を治してあげれば良かった)

自らの右手の甲を、そっとなでる。

“神力”を扱う際、白い“痕”のある右手に意識を集中させることにより力を発動させられることは、犬貴を治癒させた時に気づいた。

和彰の時は無我夢中で真名(なまえ)を呼ぶことと、傷口から流れ出る血を一刻も早く止めたくてした行いだったのだが。結果的には、それが功を奏した。

「──お前の行動を御することはできても心までは制することはできない」

抑揚なく和彰が告げた内容に、咲耶は顔を上げた。
青みがかった黒い瞳に(かげ)が差しこみ、咲耶に憂いを伝える。

「私が側にずっと在れば、お前に害をなす行動を止めることはできるが、お前は人だ。
自分の考えや想いに基づいて、自分の思うように動く。
始終、側に在れない私には、お前の心の動きまでは止められない」

重ねられた言葉に、苦笑いする。

(……相変わらず、理屈っぽい……)

咲耶が無茶するのを止めたい気持ちはあっても、咲耶が咲耶の思いによって行動するなら、その『思い』は尊重したいと、そういうことなのだろう。

「今のお前の『気』からは、不調は読みとれない。ならば、それでいい」

原因が分かれば納得できる、と。
そう言いながらも和彰は何かを思うように、咲耶を見つめたままでいた。

「なに? まだ何か、あるの?」
「──お前は、元々は、この世界の人間ではない」

返された事実に、咲耶は首をかしげた。

「うん。だから?」
「私はお前に、この世界に留まって欲しいと、願った。けれども、人は本来、己の在るべき場所に戻りたいと思うものだ。
違うか?」