「……やっぱり、こっそり治しとくってのは、駄目かな?」
「勘弁してくれよ、咲耶サマ。それじゃ、せっかく治してもらっても意味ないぜ。ハクの旦那に殺されちまう」

苦笑いの咲耶に、言葉通り大分よくなったと見える右の前足を上げ、犬朗は冗談っぽく自らの首をちょんと叩く。
このひと月ほどのあいだ、幾度となく交わされた会話だった。

「でも……“神力”が遣えるようになったのに、なんか歯がゆいっていうか……」

犬朗が負傷したのは、もとはといえば、咲耶を逃がすためである。
それを思えば、咲耶が責任をもって(・・・・・・)犬朗の身体を元の状態に戻してやるのが筋ではないかと、咲耶は考えた。

「──勘違い……しちゃ、いけねぇよ、……咲耶サマ?」

犬朗が、思うようにならない身体の位置を変えようとしているのを見てとり、咲耶は手を貸してやる。
軽く礼を言って、犬朗が続けた。

「あんたの“神力”は、本来はこの“下総ノ国”の民のものだ。
俺たち“眷属”が、あんたや旦那のために力を尽くすことはあっても、その逆は、ねぇんだよ。……あっちゃ、なんねぇのさ。
ほどこすべき相手を、間違えちゃいけねーよ?」

やんわりとした口調で犬朗が咲耶をたしなめる。

ハクコ──和彰(かずあき)は、犬朗に治癒を行う最中めまいを伴った咲耶を見て、
「お前の身体に害を為す“神力”なら、扱うな」
と、めずらしく顔をこわばらせて止めた。

直前に治癒をほどこした犬貴には、
「咲耶様。私のようなモノのために、稀有(けう)なお力を、二度とお遣いになりませぬよう。
どうか、これより先は、捨て置きくださいませ。放っておいても時が経てば己の力で治せるのですから」
と、困ったように諭されてしまった。

もちろん、双方、咲耶の身体を心配した言葉であるのは、尋ねずとも分かる。
彼らなりの咲耶に対する気遣いが違う形で出ただけだろう。

だが犬朗が言ったのは、そういった部分を切り離した、咲耶の“役割”の真を問う話だった。

咲耶は和彰と犬貴の態度に、釈然としないものを感じていたのだが……その正体が、これだったのかもしれない。