森を抜けた頃には、陽はすっかり昇っていた。

闘十郎が追ってくる気配はなく、咲耶は岩壁をよじ登っていた。岩をつかむのは咲耶の素手で、所所にある出っ張りやくぼみに足袋(たび)の足がかかる。

やがてたどり着いた先──。
長い黒髪をたなびかせ、はためく中華風の着物から、白くなまめかしい脚を出した美女が立っていた。

「闘十郎は、あとから来る追捕の者らに、お前の身を預ける気でいたようだな。……昔から、妙に手ぬるい男で困る」

体勢が整わぬうちに、百合子の手刀(しゅとう)が咲耶を襲う!
かわす身が、後方にある先ほど登ってきたばかりの崖下(がけした)に、おどりかけた。
ぐい、と、咲耶の(たもと)が引き寄せられる。

「結局──お前も(・・・)私が葬るはめになるとはな。ハクの“花嫁”は、本当に不運だな」

百合子の顔が近づくと、彼女の一方の上向いた手指の先が、咲耶の目の前で肉食獣を思わす鋭い爪へと変貌(へんぼう)する。

「せめてものよしみに、一撃で心の臓をえぐり出し、あの世へ送ってやる。
それが、多少なりとも関わってしまった、お前へのはなむけだ」
「やめて、百合子さん!」

咲耶の叫びは懇願ではなかった。
やりきれない想いの果ての怒りが、強い拒絶となって表れたのだ。

なぜ、この世界で知り合い、同じ境遇にある者同士が、憎しみでもなく利益を得るでもなく、殺し殺されなければならないのか。

咲耶のひるまない眼差しが、優位にあるはずの百合子の心を、髪の一筋ほど迷わせたようだった。

──短く、犬貴が叫ぶ。

『“真空(しんくう)裂破(れっぱ)”!』

咲耶の右手が、上がりざま、百合子の左半身をかすめる。一瞬のち、血しぶきがはねた。
次いで、咲耶の右足が、百合子の右横腹の辺りを蹴り飛ばす。

小さくうめく百合子の身体から、反動で咲耶は横に飛びのいていた。
そうして、百合子との距離を置く。