笹山公園の石段を下りて駅前ロータリーへ続く坂まで戻ってくると、凛がスマホにメッセージを入力した。

『先輩、これからよろしくです』

 すぐに既読がついた。

 でも返信はない。

 凛がくすりと笑った。

「まふゆ先輩かあ。やっぱり幽霊じゃないじゃん」

 そりゃそうだろ。

「幽霊がスマホ持ってるわけないもんね」

 ちょっと不思議な雰囲気で変わってるだけだろ。

「あんたのスマホ貸して」

 僕の学生服のポケットに勝手に手を入れてスマホを奪い取ると、凛が顔を寄せてきて、二人で写真を撮った。

 画像を確認して、すぐに送信する。

「どこに送ったんだよ」

 凛が僕にスマホを放って返す。

「先輩に決まってるじゃん」

「なんで」

「ご挨拶代わりだよ。あんたの顔覚えてもらえるでしょ」

「勝手に僕のスマホでやるなよ」

「だって、あんた、先輩のこと気になってるんでしょ。結構見た目もいいし、仲良くなって損はないでしょ」

 まあ、そうだけど。

 食パンマンションまで戻ってきたら、凛が僕に手を振った。

「じゃあね」

「おい、勉強は?」

「あらあ、女子の部屋で二人っきりになりたいってわけ?」

 はあ?

「そっちが先に言いだしたんじゃないかよ」

「じゃあ、オトナの勉強していく?」

 凛のからかいに引き下がるのは悔しい。

「ああ、していくよ」

 僕の勢いに、ちょっと凛の表情がこわばった。

 なんだよ、この気まずさ。

 ポケットの中でスマホが震えた。

 メッセージはなく、写真だけが受信されていた。

 笹山公園の丘の上から見た、夕焼けを背に暗く沈みこむような可也山の写真だ。

 可也山は線路をはさんで街の反対側にある。

 糸原富士とも呼ばれている円錐形の山だ。

 一時間ぐらいで登れて、小学校の時の遠足で僕も登ったことがある。

「そういえば、先輩の家ってどこなんだろうね。聞くの忘れたね」

 凛がメッセージを送ったけど、今度は既読はつかなかった。

 冬の太陽はすっかり落ちて、急に暗くなってきた。

 いつの間にか空には薄い雲が広がり始めていて、藍紫色に染まっている。

 勉強はあきらめて帰ることにした。

「じゃあ、また明日」

 僕が歩き出すと、凛はもうからかってこなかった。

「うん、ごめん。また明日ね」

 素直に謝るところも、凛のいいところだ。

 でもまあ、最初から悪ふざけをしないでくれればもっといいんだけどな。

 一応、一片先輩の連絡先も手に入ったし、それは感謝しなくちゃいけない。

 角を曲がる時、僕は振り向いた。

 凛はまだマンションの前に立っていた。

 僕は大きく手を振った。

 凛も胸の前で小さく手を振ってくれた。

 角を曲がって一回深呼吸をしてから、もう一度顔を出してみた。

 凛はまだいた。

 僕は手でピストルの形を作ってバーンと撃つ格好をした。

 撃たれたジェスチャーで胸を押さえながら凛がマンションに入っていった。

 それっきり路地には誰もいなくなった。

 藍紫色だった空も深い紺色になった。

 僕は一人、家路についた。