その後、俺は大学には行かず、そのまま就職した。別に勉強が嫌いだったわけではない。しかし、学生生活そのものにもううんざりしていたのだ。それに、うちに大学へ通えるだけの余裕がないことも薄々感づいていた。
「うちのことなんて気にしなくていいのよ」
と、口では母も言っていたが、実際は余裕がないのは火を見るよりも明らかだった。
「気になんてしてねぇよ。行きたくないから行かないだけ」
つい突っぱねるような言い方をしてしまう。今更素直に感謝の気持ちや、想いを伝えることに一種のためらいを感じていたのだ。今となっては"どうしてもっとあの時素直になれなかったんだ"と悔やまれるばかりだ。
 仕事が決まった時も母は自分の事のように喜んでくれた。お祝いに無駄にデカいケーキまで買ってきて、二人で食べた。当然の如く二人では食べきれず、何日かに分けて食べた。あの時のケーキの味は今でも忘れられない。
 働いてみて、初めて母の苦労が分かった気がした。そして、これからもっと親孝行をしよう、そう思ったある日のことだった。携帯に知らない番号から電話があった。相手は警察だった。内容は"母が仕事へ行く途中で交通事故に遭い、病院へ運ばれて意識不明の重体だ"というものだった。