妖しく溺れ、愛を乞え

 フロア内に緊張が走る。そんなに構えることでも無いけれど、いつものんびりした雰囲気の中に、本店から上役が来るとなると、やはり気持ちが違う。迎える側は大変なのだ。(精神的な意味で)

 早く帰ってくれ。あたしは来る前からそう思ってしまう。もう来るのか。

 その時、内線が鳴った。

「到着したようだ」

 複数の足音と廊下から入って来るスーツ姿が数人。来た。一気に慌ただしくなる。別になにも無いんだけれど……。

「お疲れさまです」

 集団に向かって深々とお辞儀をし、挨拶の中に紛れた。ああ、お茶煎れなくちゃ。あたしは後ろ姿を数えて、給湯スペースへ向かう。

 湯飲みを4つ、そして少し良い茶葉を急須に入れる。

 今日1日、この雰囲気か。あんまり好きじゃないなぁ。

 のんびりから慌ただしく変化するこの感じ。好きじゃない。変化は嫌い。あたしはいつもと同じ、普通が良い。

 短いため息をついて、丸い湯飲みにお茶を注ぐ。いい香り……。なんて嗅いでる場合じゃない。行かなくちゃ。

「春岡さん、あたし行こうか?」

 初乃さんがやってきて、声をかけてくれた。

「あ、大丈夫です。ありがとうございます」

「そう、じゃあお願いします。ごめんね」