妖しく溺れ、愛を乞え

 足音が聞こえなくなると、苦しそうに眉間に皺を寄せる深雪の頬に触れる。

 やっと、会えたのに。この目を開いて、あたしを見てくれないの? 雅って名前を呼んでくれないの?

「……あたしを残して居なくなるなんて、なんて酷い男。元気ならぶん殴ってるのに」

 荒い呼吸をする唇に、自分のそれを押し当てる。気休めだって分かっている。でもそうせずにはいられなかった。
 唇を離して深雪の顔を見ると、ゆっくりと目が開いて、視線があたしを認めた。

「み、雅……ごめん」

「いいよ、喋らないで。体に障るわ」

 湯呑みには少し液体が入っていた。ペットボトルはお茶みたいだから、おそらく中身はそれだろう。食事はしていたのだろうか。あまり期待できない。



「ごめん……きみを、困らせてばかりで」

 そんなことを言われるなんてね。最初から困ってるわ。もう、どうしたら良いのか分からない程に。

「……圭樹に連れてきて貰ったの。ひとりだったら来られなかった」

「そう、か」

 短く浅い呼吸。力の無い目。手を握っても、握り返してくれる力も無いみたいだ。

「なんだ、傷だらけじゃないか……手、顔も汚れている」

 すっと上がった深雪の大きな手が、あたしの頬に触れる。冷たい指。


「ここまで遠かったよ。寒くて、雪深い。圭樹、里への入口を作るの、苦手なんだって」

「は、は……あいつは、相変わらずだなぁ」

「ふふ。帰ったら、お蕎麦食べさせてくれるって。圭樹って蕎麦屋さんなんだね」