次の公判日は一ヶ月後となった。

 裁判所から東京拘置所に戻る道すがら、押送バスの窓から見た外の景色が、何故か何時も以上に恋しく感じてしまった。

 これ迄、何度となくこのバスに乗り、街行く人混みや景色を眺めても、こんな気分になったりはしなかった。何故なら、何年かすれば、再びあの景色の中に自分も戻れるという思いがあったからである。

 それが、今回は違う。

 いや、本来ならば三年、長くて四年程度で社会に戻れる筈の事件しか起こしていないのに、いわれなき罪を被されての裁判である。

 私の頭の中で、言い渡される検察側の求刑の内容がフラッシュの如く点滅していた。

 死刑……

 無期懲役……

 この二つが交互に点滅している。

 高速に入り、暫くすると左手に銀色の建物が見えて来た。

 無機質なその建物が、まるで墓標のように見えた。

 自分の冤罪を証明してくれるべき弁護士が、果たして次回の公判で何処迄無罪を主張してくれるであろうか。

 当てにならぬ国選弁護人の言葉一つで、あの無機質な建物が本当に自分の墓標に成り兼ねない。

 拘置所に戻るなり、私は担当の弁護士宛てに長い手紙を書いた。

 内容は、改めて自分が強盗殺人に関しては無罪である事と、実際に犯した窃盗に関してはどんな罰でも服するつもりである事を書いた。

 多分、無駄な事であろう。報われないと判っていても、その時の私はそうする事で精神の均衡を保とうとしていたのかも知れない。

 拘置所内での処遇だけでも私の心は壊れかけていた。

 その上に裁判の結果次第では……

 その夜から次の裁判迄の一ヶ月間というもの、私は気が変になるのをどう耐えて行くかだけしか考えが及ばなかった。

 幸い、マムシは余り絡んで来なかった。

 後で判った事だが、新しく代わった舎房担当がそれとなく釘を刺してくれていたらしい。

 舎房担当が交代した事自体、私が知ったのは暫く後になっての事だった。