私の房の前で足音が止まった。

 廊下側の窓越しに、刑務官が私をじっと見つめる。見覚えのある刑務官だ。

 あだ名はマムシ……

 この東京拘置所には十年以上前から居る。

 収容者全員から嫌われていた。

 重箱の隅を突くようにして、収容者のアラを捜し、ねちねちと注意する。少しでも反抗の態度を見せると、陰険な表情が狂暴なものへと変わり、相手をより怒らせ、終いには他の刑務官を呼び、保護房へとぶち込む。視線を合わせただけで怒鳴られた収容者も居た。

 私は大便をするふりを装いながら、視線を合わさないように俯いた。

「おい、お前見た事あるな……」

 マムシはそう言って扉横の名札を手に取り、私の番号と名前を確認した。

「再犯のようだから判ってると思うが、水は大切に使ってくれ。流しっ放しは駄目だぞ」

「はい……」

 隣と話をしていた事はばれなかった。

 マムシが去って行った。

 足音を消す為に、廊下にはその部分だけリノリュームとは違う素材になっているが、マムシは靴音を鳴らして行った。

「行きましたね……」

 再び隣から声が聞こえて来た。

「ええ……」

「木山さん、何でしたら、明日あたり僕の弁護士が面会に来ますから、木山さんの事を話して置きますよ」

「有り難いんですが、私選を頼める程のお金が有りませんから……」

「それなら心配要りませんよ。僕なんかもそうですから」

「……?」

「僕らのような冤罪で、私選を頼めないような者を支援してくれる団体が有るんです。冤罪を勝ち取れれば、国から賠償金が支払われます。彼らはそれを目当てに活動してくれますから」

「成功報酬という訳で?」

「まあ、そういう事ですね」

 私は期待半分、駄目で元々といった気持ちで、宜しくお願いしますと伝えた。

 暫くして就寝時間を告げる放送が流れて来た。布団に入り、隣人との会話を思い返していた。

 名前を聞き忘れてた……

 明日聞こう……

 眠りの浅い夜を今夜も迎えた。