「茉莉ちゃんは何も。ただ、私が勝手に判断して訪ねさせていただきました。立会人として」
「立……会人?」
「ええ。ふたりの関係を清算するこの場に立ち会わせて貰おうと思ってこうして出向いて来たんですが」
「は? さっきから何言ってるんですか! おい、茉莉……っ」

私同様、混乱した広海くんが振り向いて私に手を伸ばす。
また引っ張られると思って構えると、広海くんの手を田中さんが止めた。

「茉莉ちゃんは本気なんですよ? 力で引き止めるのは限界があります。それに、別の彼女もいらっしゃるなら、あなたの方が都合がいいんじゃないですか?」

眉ひとつ動かさずに冷静に言葉を並べ立てる田中さんに呆気に取られていると、私は広海くんじゃなく、その女性に手を取られてベッドから立ち上がる。

そのまま田中さんが私を後ろに匿うように手を回すと、背中越しに聞こえた。

「お互いのためを思うなら、これ以上事を荒立てるのは得策ではないでしょう」

ピンと背筋を伸ばして立つ後ろ姿が目に焼きつく。
背中の中ほどまでの、真っ直ぐな黒髪。

それが余計にこの人の芯の強さを強調しているようで、なんだか羨ましかった。

「茉莉ちゃん、“最後に”言い残したことはない?」
「えっ」

くるりと振り返りざまに突然話を振られ、目を泳がせながら必死に頭を動かす。

言い残したことなんて、ここまで来たら特には思い浮かばなくて。
スカートを握りしめた私はつま先からゆっくりと視線を上げた。

「さようなら」

小さな声しか出せなかったけど、広海くんまで届いたようで、私の言葉を聞いて焦りを滲ませた目をしていた。
その目に何度も希望を持って、隣にいることをやめないできたけど……もう、終わりにするんだ。

田中さんは聞き遂げた後に、私の代わりにベッドに放られたままの携帯と、テーブルの側に落ちてたカバンを拾い上げてくれる。

促されるように背に手を置かれた。
その背中に、広海くんの視線を痛いほど感じる。

……だけど、ここで振り向いちゃダメなんだ。
いつもここで振り返り、両手を広げて受け入れてきた。それが、本当は私にも彼にも良くなかったんだって、なぜだか今なら素直に思える。

私はそのまま一度も広海くんの顔を見ずに、田中さんと一緒にアパートを後にした。