「え………ちょっと待って。


あたしがいなかったの、一晩だけ?」






ぽかんとしながら訊ねると、母親は「はぁ?」と怪訝な顔になった。






「なに言ってるの、百合。

頭でも打った?」






母親があたしのほうに手を伸ばし、確認するように頭を撫でる。




その仕草に、すこし驚いた。



母親がこんなふうに触ってくるのは、ずいぶん久しぶりな気がした。





気恥ずかしくなって俯く。




そのとき、母親の足が目に入った。




なぜか、足首のあたりまで泥だらけになっている。




よく見ると、リビングから続く短い廊下に、黒い足跡が無数に残っていた。





まるで、何度もうろうろと往復したような。





「………ちょっと、お母さん。足、汚いよ」





思わず指摘すると、母親がごつんと小突いてきた。





「うるさいわね!

あなたのせいでしょ!」





「え………?」





「百合がいつまで経っても帰って来ないから、街じゅう探し回ってたら、ドブにはまっちゃったのよ!

どうしてくれるの、全く!」






母親はそう言って、浴室に入って足を洗い始めた。





その背中に、ぽつりと問いかける。






「………探してくれたの? 一晩中?」





「………あたり前でしょ。

どんな馬鹿でも、いちおう娘なんだから」






そう言った母親の声は、かすかに震えていた。