「またね」


ひらひらと揺れ動く彼の手から自身の足元へ目をやり、動かした。背後で自動ドアがしまっても、歩調が変わらなくても、思考だけはフル回転させていた。


敬語が出たり出なかったりしたのは、彼のことをよく知らないし、どう接すればいいか分からないからだ。


親しくなりたいわけじゃない。だけど、心のどこかで慣れようとしていた。彼が私の帰りを待っていることに。絶対、おかえりと声をかけてくることに。もう無視することは、できそうになかったから。


「……ありがとう、って」


たかだか数十分、話しただけじゃない。しかもなんの実もない話。


だけどそれでいいんだろう。話をしようと、彼は言った。いろんなことを、たくさん。本当にそれ以上を望んでいないから、ありがとうなんて言うのかもしれない。嬉しいと言うのかもしれない。


『またね』


彼の言葉をひとつひとつ思い返すと、やっぱり不思議な感覚が身体中に拡がって。きゅっ、と胸が締め付けられるような気さえした。


きっと彼はまた、宣言通り現れる。翠以外ろくに友達を作ってこなかった私にとって、しかも相手は自称ストーカーだなんて、未知の世界もいいところだ。


これから、どうなるんだろう。


考えたところで私も彼もどうにかなりたいわけじゃないのだから、今日と似たような夜を繰り返すだけなのだけど。


どうしても、形容し難い感覚がどこから生まれてくるのか分からなくて。私は眠るまで、彼のことを考えていた。



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