「え、あ、あぁ、授業なんか、受けたく、ねえから」
「…そう」
紗波にとってはおかしい事はなんら無いのだろう。
涼しい顔のままで、絵を描くばかりだ。
祐輝は、また高まった胸を押さえ、手の平で脈が早く打つのを感じた。
(…え、心臓 五月蝿い…ビビったからだな…久岡から話しかけてくるとは思わなかった)
紗波から、少しだけ離れた。
気を悪くするかと思ったが、そんな素振りは見せない。
祐輝がホッと息をつく。
「…えーと、授業を受けるのが面倒臭いから出ねえんだよ」
「…うん」
さっき聞いた、とばかりに興味を一欠片も表さず、紗波が膝にノートを置いた。
開いたノートに描かれているのは、一匹でやや淀んだ水の中で泳ぐ、錦鯉。
その鯉に、感情や生命力は感じられない。
この錦鯉を描いたのは、久岡 紗波だ。
「…ふーん…でも、やっぱ感情がねえよな」
「…うん」
紗波が頷いた途端、ピュッと涼しい風が吹いて、ノートのページを飛ばした。
錦鯉の絵は、白紙のページに消される。
祐輝は、もう少しその絵を長く見ていたかったが、紗波は立ち上がった。
「どっか行くのか?」
紗波がコク、と首を縦に振ると、靴箱前の扉までゆっくりと歩いて行く。
祐輝はその後ろ姿を、暫らく見送っていた。
「…なんか、あの絵の鯉…」
まるで、と言葉を紡いでから、祐輝が俊敏にベンチから立った。
「流岡!さっきは…」
渡り廊下を歩いていたのは、祐輝を追っていた、生活指導の教師だ。
「…うわ、ダルっ…」
祐輝はまた、靴箱に飛び込んで上靴に履き替えると、一直線に校舎内を走った。
また、廊下を走る音が響く。
その音を消すように、四限目の終了の鐘が鳴って、昼休みになる。