聞こえてくるのは、穏やかな声。
「…久岡、大丈夫か?」
紗波はそっとノートを閉じると、無機質な声で、言う。
「…鍵…開いてるから」
数秒の沈黙のあと、シュッと滑る音を立てて扉が開き、紗波はその茶色い瞳に安心する。
黒い髪の祐輝が、微かに埃臭く、心地の良い美術室に足を踏み入れた。
「昨日は大変だったな…。お疲れ」
聞くだけで気持ちの落ち着く声に、紗波はコクンと頷く。
紗波はジッと祐輝の笑顔を見つめ、この悶々とした心を考える。
「また絵ぇ描いてたのか?」
「…うん」
「…そうか」
黒髪の祐輝が、紗波の隣に座り、テーブルに肘をついた。
紗波はノートの白紙を開き、テーブルの水差しに生けられた水仙を描き始め、祐輝はそれを見つめていた。
この静かな、安らかな時は__あっという間に崩れ去った。
視線を、祐輝に向けた瞬間だった。
「…ッ、ゲホッゲホッ!ケホッ…!」
(…!?)
__祐輝が唐突に右手で口を押さえ、げほげほと何度も激しく咳き込んだ。
突然の咳に紗波が言葉を失うと、祐輝が苦しそうに過呼吸を繰り返す。
椅子から崩れ落ち、地面に寝転んで悶えながら、何度も激しく咳き込む。
ふっと紗波の理性が戻った。
「…流岡…!?」
「ゲホッ!ケホケホッ!…カハッ…!…またかよ…っ!ゲホッ!」
右手の指の隙間から__赤がポタリと、床に落ちた。



