「……な、何だ…?」


その瞬間、視界が大きくブレる。


左右それぞれの視力が、別々のものを捕える。

右目は鬼を、左目はその周囲に立ち上る黒い影を。

敵意・殺意・邪気などの負を纏った、目には見えないものが感覚となって秋文に襲い掛かってくる。


(こんな嫌な気配、今まで感じたこと、ない…)


ごくりと唾を呑んだ。


《イイ匂イダ…》


その時、鬼が初めて口を開いた。

口端から唾液を零しながら、舌舐めずりをする。

「目を覚ませよ…」


《オ前ノ肉ヲ喰ワセロ》

鬼は激しく火の粉をあげながら、秋文に近づいてくる。


(こんなのと戦うなんて、出来る訳ないだろ…出来る訳ないっ!!)


秋文は怖くなり、山道に向かって走りだした。

その後を鬼が追う。

林立する木をなぎ倒しながら、もの凄い勢いで追いかけてくる。


(くそっ、走りづらい…)


人の踏み入らない道は草や石が多い。

視界と足場の悪さに、毒づいた。

「…わっ!」

ザザザザザッ!!

次の瞬間、木の根に足をとられ、秋文は派手に転倒した。

鬼は見る間に追いつき、彼の背中に容赦なく大きな手を振り下ろす。


(殺られる!)


秋文は観念して目をつぶった。

その時、


「ボーッとするなっ!!」


何かが激しく割れる音に混じり、叱責が飛んできた。
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