☆

夕暮れ…まだ少し昼間の熱気が抜けきれずにこもった部屋は、座っているだけでじんわりと汗が滲んでくる。

秋文は出された冷たい麦茶を一口飲んだ。

八助は正文が書いた手紙に目を通した後、

「深刻な事になりましたな」

タメ息を零した。

「せっかく遠い所から足を運んでもらったのに申し訳ないのじゃが…儂は今、鏡は作っておらぬのだ」


「えっ?」


秋文が思ってもみなかった老人の言葉に驚くと、

「実はこの老いぼれの後を継いで修行中の孫がおりましてな」

八助は楽しそうに笑った。

「お孫さんが?」

「そうじゃ。儂はこの通りもう長くはない。今年で齢七十八歳、どう頑張っても後十年がいいところだ。本当は息子がおったのですが、十年前に事故で亡くしまして、孫が後を継ぐことになったのです」

あなたもまたずいぶん若い後継者ですなと言われ、

「いえ。僕は父の代理でここに来ただけですので…」

そう言って秋文は軽く笑った。

それから八助に風呂敷包みを渡す。

「では、失礼して見せてもらおうかの」

老人は結び目を解くと、中から割れた鏡を枠ごとそっと取り出した。


「これはひどい」


割れた鏡はどす黒い色に変化している。

「長いこと鬼を封じていたから鏡面がにごったのだな」

割れた破片は、鏡と言われなければ全く分からない。

「正文殿は修復をと言っておられるが、この鏡はどうやら修復不可能なようじゃ」

「…そんな」

ここまで来た意味がないと、秋文はがっくり肩を落とす。

そんな彼の姿を見た八助は顎髭を撫でながら、眼尻に皺を寄せた。

「そうがっかりしなさんな。孫が帰ってきたならば、これの代わりとなる鏡があるか探させましょう。早急に」

「お、お願いします」

頭を下げた。

「…あの、もしよろしければ仕事場を見せてもらえないでしょうか?」

「鏡に興味がおありかな」

どこか人を試すような老人の口ぶりに、

「えぇ、まぁ…」

彼は言葉を濁す。

「いいとも。散らかっておるがの」

八助はそういうと、立ち上がった。
.