その手を繋いだまま、薄暗く足場の悪い壕の中を進む。



立ち止まり、ガイドさんの話を聞き、それだけでも胸が詰まり、息苦しくなる。



この轟の壕では、1000人以上もの住民や日本兵が停留していたそうで。



泣き声をあげた赤ん坊を日本兵が撃ち殺すという非常事態が、この空間では当たり前だったらしい。



初めは集団自決等も行われていたが、そのうちに、食糧も飲料も尽き果て、死の自由さえ奪われた住人達が次々と亡くなっていったとガイドさんが教えてくれた。



彼等を助けたのは、敵であるアメリカ兵だったのだとか。その当時、此処にいた人達の気持ちは計り知れない。



地上に出て陽の光を浴びた時、ほんの数分しかいなかった私なのに、とてつもない喜びと安心感を感じたんだ、彼等はもっとそうだったのだろう、と思う。



「悠莉、ひめゆりぬ塔んかいはーれーるみ?」



「大丈夫。行く、行かなきゃ。」



気持ちは重たいけど、でも、どうしても学びたい。自分からこんな風に思うのは生まれて初めてだ。