「最初は、名乗るのも面倒だし、孝広って事にしておけばいいと思ったんだ。
ここに住んでもいいって言ったのも、おもしろそうだからって理由に嘘はなかった。
悪いヤツじゃなさそうだし、何より放り出すのも可哀想に思えて提案しただけだったんだ。
けど……今考えてみるとその時から少し違っていたのかもしれない」
「違ってたって?」
「俺には元々そんなに偽善的な考えはない。ボランティア精神もないし。
それなのに莉子の事は放っておく事ができなかった。
……まぁ、それだけ不幸なヤツを見た事がなかったからって理由かもしれないけど」
からかうように言われたけれど、確かにどん底だっただけに何も言い返せずに口を尖らせる。
奏一くんはそんな私を見てふっと笑ってから、なんでだろうなと独り言にも思えるほどの声で呟いた。
「莉子だけは俺の中にどんどん入ってきて、俺もそれを嫌だと思わなかった。
別れた後も元カレに振り回されてる莉子を見てイライラしてる自分に気づいて……好きなんだって分かった。
それからはジレンマとの戦いだった」
「嘘ついてたから? 罪悪感と好きって気持ちに挟まれてって事?」
「そう。莉子が孝広を好きなのは分かってたから、だったら俺の気持ちを言わずに騙してた事だけ言えばいいと思った。
その頃には孝広がそろそろ帰ってくるのが分かってたし、それを教えてやればいいって。
でも……結局、孝広が日本に帰ってきてからも自分から本当の事を告げる事ができなかった」



