実を言うと、菊之助というのはただの偽名に過ぎない。

 本名は菊である。

 つまりこの少年のような外見と体格の侍は、年頃のおなごだったのだ。

 “菊之助”という名は、口入れ処で男の侍として刀を使う仕事をよこしてもらうために用意したのである。

 外側も内側も、もう娘らしさなど完全になくなっていた。

「そんなことないさ。あんた、歌舞伎役者も顔負けの男前よ」

 百合としては褒めてくれているようだが、果たしてそれは年頃の娘を引き立てるための言葉だろうか。

菊之助は今一つ疑問に感じる。

 菊之助は部屋に上がり、忍び足で懐の銭を棚の引き出しへと入れるのだった。

百合に勘付かれぬよう、細心の注意を払って、だ。

 百合は菊之助が、刀を使う危うき日雇い仕事をこなしている事を知らない。

彼女の前では、菊之助は働き口を探して江戸の町をほっつき歩いている、非力な妹を装っているからだ。

(銭が貯まりゃあ、もう姉ちゃんばかりに苦労をかけることもなくなるだろう)

 姉を騙すことへの罪悪感がないわけではないが、

少しでも自分が頑張ればこの先も生活に困ることはないだろう、

という安心に包まれて、菊之助は大きく鼻息をつく。