このまま茶屋に突入すれば、百合に会うことは避けられぬ。
お菊、と。
菊之助が男と偽っているなど知るはずもない百合は、きっとそう呼んでくるはずだ。
本名で呼ばれてしまうという事は、もはや段田と春芝に女であることを暴露されたに等しい。
最悪の事態を回避するには、百合の前に現れてはならぬ。
それが最善の方法だ。しかし行かねば、菊之助はここまで来た意味がない。
(顔さえ見えなければなあ)
思い、菊之助はふとひらめいた。
名案という木漏れ日が、燦々と菊之助の顔面を照らす。
「たしか旦那って、悪魔の中では、人を化かす技はぴかいちだって言ってたろ」
地獄において、幻術の腕でダンタリオンの右に出る者は皆無。
段田自身も自己紹介のおりに、幻術では誰に勝るとも劣らず、と自負していた。
それを思い出した菊之助は、最終手段で段田の力に頼った。
「茶屋にいる人たちを、化かしてほしいんだ」
菊之助は言った。
「俺の姿をさ、もっと大きくて小山みたいな男に見えるように化かしてほしいんだ」
「なんのために、彼らを化かすんだい?幻影や幻聴など私には朝飯前だが……」
案の定、段田はそう問うてきた。最もされたくない質問である。
菊之助は段田たちの前では男で、そして百合の前では女なのだ。
女だと悟られぬよう、そして男と装っていると勘付かれぬよう。
菊之助は百合と段田および春芝の両方をうまく騙さねばならなかった。
正直なところ、菊之助にとってはかなり荷が重い。
だが苦肉の策で、菊之助は悪足掻きにでたらめをぬかした。
「だ、旦那たちみたいな悪魔にゃ分からない、姉弟の事情ってやつだよ。
いろいろあって、今は姉ちゃんの会ったら、駄目なんだ」
もちろん、菊之助が大人を相手に巧妙な嘘などつけるはずもなく、あたかも詮索を拒否するような言い訳をした。