「それにあんな春芝のような、無口で無愛想で口の悪い男が客でも、君の姉上は嫌な顔ひとつしない。
大人にはそんな忍耐も必要なのさ」
どうだ!と得意げに片目をそばめた段田だが、菊之助の集中はとうに段田からは逸れていた。
おそらく段田の格言もどきなど、どこ吹く風であろう。
菊之助は、
「自慢が多くて厭味ったらしい旦那に比べりゃ、春芝のほうがよっぽどましだけどなあ。
それに野郎も結構いい男だし、口は悪いけど率直だし。
普通なら嫌がるどころか、むしろ喜ぶんじゃないのかな」
と、独り言で毒を吐きながら、茶屋を睨むばかりである。
見ればおかしなことに、客の春芝は茶や菓子を頼むでもなく、ただ悲壮にうつむいているだけだった。
百合にも視線をくれぬ。
客として店を訪れたというよりも、ただそこに座れる場所があったから、そこに留まっていると言った方が妥当だ。
「君は人の話を最後まで聞いていたかい?」
不貞腐れた段田に頭を掴まれて、菊之助は鬱陶しそうにその手を払うのだった。
「話なら最後まで聞いてたよ。
春芝みたいに無口で無愛想で口の悪い男が客でも、茶屋の看板娘たる者、笑顔を絶やさないのが大切なんだろう」
あながち生齧りの説明ではなかったが、どこかずれている。
しかし菊之助にしてはよく聞いていた。
そう感心したからか、段田もあれやこれやと細かに指摘しはしなかった。
「それはそうと、さて、どうやって春芝を連れ戻そうかな」
菊之助が言った。
「普通に君が行って来ればいいじゃないか。
やましい事をするわけでもあるまいし」
菊之助の事情を知らぬ段田は、そんな事を言う。
菊之助はぎくりとする。
さて、この段田にどう説明しようか、と菊之助は微力を尽くして慮った。