「おや、これはまた美しい女人だな」
「おっ、お前もそう思うか?」
自分が褒められたわけでもないのに、菊之助はすぐさま上機嫌になって鼻を高くした。
が、それも茶腹の一時。
我に返った菊之助は客らしき男が誰かを、いま一度確認した。
大工のような恰好で、かむろ頭に手拭いを巻き付けた男だ。
菊之助も段田も、よくご存じの男であった。
「は、春芝ー!!」
「間違いないな」
さっと血の気が引いた菊之助をよそに、段田は、
「彼にしては珍しいねえ。
いつも色には無頓着なのに。
春芝も案外、女に興味があったのか」
などとぼやいている。
そして、今にも泡をふいて卒倒せんばかりの菊之助に一瞥をくれた。
その目つきは重ね重ね、人を見る眼から奇怪な珍獣を観察する眼へと変じていった。
「菊之助、どうしたのだい。
顔が青いよ」
「これが青くならずにいられるか。
あんなもの見ちまったらよう……」
春芝と看板娘を凝視しながら、菊之助は固唾を飲んだ。
「あの看板娘あ、俺の姉ちゃんだ……」
「なに」
段田は看板娘、百合と菊之助を交互に見、どうも合点のいかぬ様子で顎を触った。
「あんな器量の良い姉がいながら、こんな野蛮でがさつな弟が育つのかい」
「どうでもいいけど、ああ、どうしよう」
菊之助は両手で髪を乱した。
「なにをそんなに心配している」
「いや、その、あんなに艶やかに笑う顔なんか、見たことがないし、気が動転してて。
だっていつもは、お日様みたいな元気な笑顔だから、その」
あれが、異性に向ける顔というものなのだろうか。
この時の百合はいつになく綺麗だったが、ことさらに眩しすぎる。
それに菊之助は混乱していた。
「子供らしい邪推だな」
また心を覗いたのか、段田が両肩をそびやかして、ふっとあざけた。
「誰が子供だっ」
がるる、と菊之助が唸る。
「客と接する仕事はね、常に笑顔を要するのさ」
「江戸の町にゃ、陽気な奴が多いからか?」
「違う。
客からの好感を得られるからだ。
町の商人だって、みな笑っているだろう」
「まあ……そうだな」
道行く人々の顔をいちいち意識して見はしないので、商人がどのような顔をしているかなど覚えていない。