なぜなら、菊之助も今まで数え切れぬほど、そこかしこの人々に恩を受けた。

江戸の者たちはいつだって、困った者を放っておけぬ。

そんな江戸っ子たちに囲まれて育ったからこそなのか、菊之助も彼らと同類になっていた。

たからどうしても、冷徹な段田の発言が食えなかったのである。

しかも菊之助の率直さは、慎みなくずけずけと物申す江戸っ子のさらに上を行く。


「薄情者め」


 良い事は恥ずかしがって言えぬくせに、悪口なら息を吐くように言えてしまうのだ。


「何とでも言え。
だが、私は悪魔だ。
人情とか義理とか言うものについて、しかも子供に説教されても、私にはなに一つ心に響かないし、頭にも入らない。
だから君がどう言ったって、蛇足にしかならないのだよ」

「誰が子供だ。
それとなにが蛇足だ」

「君が子供で、君が言うことが蛇足だと言っているのだよ。
……ああ、やっぱり、口喧嘩になるのなら話しかけなければよかった」

「自業自得だろ」


 けっ、と吐き捨て、菊之助は続けざまに、


「お前みたいな大人はなあ……」


 と言った。     

しかし次いで発された言葉は、故意で言ってやろうとした一言とは異なるものであった。


「ね、姉ちゃん!」


 菊之助は絶叫にも似た声になった。

すると、段田はむっとして立ち止まる。


「おい、私のような大人が姉ちゃんとはどういうことだ。
私は女じゃないぞ」

「ちっ、違う!前だ!」


 菊之助は震える指で前方を指した。

段田は促されてそこを見やる。

 ここから四丈ほど先に進めば楓河岸に出る。

その付近に小さな茶屋があった。

色を売るような水茶屋ではなさそうだ。

そこの看板娘が、優しげな微笑を浮かべて、客と思しき男に向かって小首をかしげている。