「そっ、それはさておいて。
そんな怪異が頻繁に起こってるのに、どうして誰も妖花屋を訪ねてこないのさ。
黒い煙の化け物を退治してくれって、依頼が来てもおかしくないんじゃないのか」
「見た奴は皆、かどわかされちまったからさ」
段田を押しのけて答えた毛女郎が、怨恨でざわめいていた髪どもを鎮める。
そしてそれらを収集して高島田の髪型に結った。
「わっちは辛うじて生き延びたけどねえ。
そのわっちにも、あの化け物がどこに居るのかも定かじゃあない。
だから退治したくてもできないのさ」
菊之助は真摯に毛女郎を凝視した。
「でも、不忍池で、お前さんは化け物に襲われたんだろ?」
「そうだけれど、わっちの次にかどわかされたのは柳橋の方にいる古着屋の旦那。
神田に住んでた小鬼も奴の餌食になっちまったよ」
神田での事件は初耳だ。
そのあたりは、妖にしか知りえぬ事件だったのだろう。
毛女郎は結った髪に鋭利な簪を突き刺した。
顔が出れば、並ならぬ美女である。
「わっちゃ、逃げるよ。
あの黒煙の化け物、いずれはこの辺りの町も狙うだろうからさ。
……生かしといてくれたお礼だ」
ふわりと舞うような足取りで、毛女郎は菊之助の肩へ首を伸ばした。
そしてその耳朶を唇でくすぐった。
「百舌のさえずりにゃ、気を付けなんし」
温い息が、囁きと共に耳に吹きかけられる。
夜色の吐息に、菊之助は体を大きく震わせた。
こういったことに疎い菊之助には、ちと刺激が強すぎる。
頭が真っ白になりかけたが、毛女郎の忠告はなんとか記憶していたのだった。


