「あんたが帰ってきたのも、夜更けだったろう」

「あれ、でも俺がここに戻ってきたころにゃ、姉ちゃんは布団の中じゃなかったか?」

「起きたのよ、戸を開ける音で」


 なるほど。

しかし菊之助が目を凝らすと、百合の涙袋には、普段通り四刻間ねむっていたとは考えられぬ隈が出来ている。

夜中に一度だけ起きたくらいでは、こうはならぬだろう。


(起きていて、くれてたのか)


 ゆうべ、菊之助が帰還したのは丑三つ時になるかならぬかという頃。

妖が跋扈する時刻である。

百合は肝が縮む思いをしながら、菊之助の帰りを待っていたのだろう。


「けれど、俺が戻った時間に神隠しがあったからといって……。

夜遅くでも、働かにゃ銭は得られないし」


 銭とか仕事とかの話になると、菊之助はそればかり言う。


「なんだ、おめえさんは銭の亡者か。

それとも借金でもしてんのかい」


 人の横で、妖が小石を投じるがごとく口を挟んでくる。

おしゃべりなその妖を睨み付け、むんず、と菊之助は妖の首の付け根を掴む。

そしてそのまま腰を上げた。


「はあ、起きたばかりで体が重いぜえ。

ちょっと背伸びしてくらあ」


 芝居がかった独り言をぼやく。

手足をぶら下げて無抵抗になった妖を持ち上げたまま、菊之助は一度長屋の外に出た。


 すとん、と腰から地面に下ろされた妖は、そこに仁王立ちして菊之助を見上げた。

妖はいかにも、嘴で菊之助を小突かんばかりの不機嫌な顔をしていた。

だが菊之助は、そんな鳥顔を怖いとも思わぬ。