お前って野郎あ……。
菊之助は仏頂面になりながらも、
「神隠しねえ。
人が消えるってやつだな」
百合が話していることの内容は、
背びれ尾びれの付いた噂話でなければ、これはまた面妖な事件である。
人の噂も七十五日、とはよく言ったもので、その時の話題がいかに大きなものであっても長くは続かず、いずれは忘却される。
しかし、噂話は瓦版に次ぐ情報伝達手段の一つである。
それゆえか、些細な事件が、人の口を伝っていくうちに大袈裟に脚色され、背びれに尾びれ、棘や牙がつき、全く現実に基づかない大事になって人の耳に届いたりする。
あと数百年も過ぎればこんな話は、幻覚とか見間違いとかから起こった、とまるで信用されなくなる。
「神隠しだって言うけどよう、鬼とか天狗とかは滅多に江戸にゃ降りてこねえぜ。
もし噂が本当だったら、どこの妖の仕業だろうなあ」
などと、能天気に人の住居に入り込み、人前に姿を現す妖もいる。
なにせ江戸の世はまだ、人外なるものの存在が信仰されていた時代である。
だから人が神隠しにあうといった怪異があっても、人々にとっては非現実的な事件ではないのだ。


