人々が寝静まった江戸の夜道。
提灯を手に歩く者もいたが、それはでっぷりと肥えた二足歩行の蝦蟇である。
夜の江戸は人の世に非ず。
獣と妖の世なのだ。
柳が葉擦れの音を立てる。妖の支配下にあり、しかも金や酒に飢えた夜盗の類がうろつきやすい宵の道を、年若き侍が怖れを知らぬ足取りで歩いている。
ひょう、と秋の風が菊之助のうなじを撫でる。ちと寒くなってきた。
「……君は」
ふと、段田が沈黙を破る。
「君らは、この国の人というのは、みな弱き相手にはああやって手加減するのかい」
「しちゃいけなかったのかよ」
菊之助が唸る。
「もし毛女郎が理性のふっとんだ妖だったら、君はきっと死んでいただろう」
「それは」
菊之助が口ごもる。段田はさらに続けた。
「君の思想に似た考え、騎士道とかいうものが南蛮にもあるが、それを実行する者は見たことがない。悪く言えば、情けをかけた故に仕事を失敗するいい例だ」
「弱いやつに手を出すのは、悪徳奉行と、それにつるんでる大尽と、破落戸だけだ。くだらねえ野郎だよ」
本音をぶちまけてみせた菊之助だが、仕事を失敗する者、と聞いて体を強張らせた。
「じゃあ俺は……仕事、失敗したことになるのか?報酬も、なしなのかい?」
恐る恐る問う菊之助に一瞥もくれず、段田は、
「君が死ぬか逃げ出すかすれば、依頼は確実に失敗だ。だが、情けをかけたのは除いて、君は結果として毛女郎に勝ち、依頼を成功に終わらせた。それだけは評価してやるさ」
やけに目上ぶった物言いである。
いや、外見からしても段田は菊之助よりも年長なのだから、れっきとした目上なのだが。


