それに動揺しかけて、菊之助はついに、


「いつになったら仕事に行くんだっ!」


 と語調を荒らげだした。

あまりにも菊之助が耳元で騒ぐので、段田は仕方なく重い腰を上げたのだった。

 角町と江戸町二丁目の間に入り、遊郭全体を囲む大溝に面した羅生門河岸の道をゆく。

ここでは中央の花魁たちよりも格段に安い遊女たちが客を取る、長屋式の遊郭である。庶民の客はここで遊女と遊ぶのだ。

 だが。


“羅生門 腕引き抜かれるかと思ひ”


 遊女に腕を引き抜かれそうになる。それほど、ここの客寄せ方法は荒く、かつ強引であった。

当然ながら、強引な遊女が寡黙なはずはない。


「あらあ、こいつあ粋な男だねえ」

「お侍様、こっちへ上がんなし」


 まだ恋愛には疎い、純情そうな少年侍の顔や身体を見た遊女たちが、餌を撒かれた鯉のように騒ぎ立てた。


(粋な男か)


 僅かな疑いもなく遊女たちに男とみなされるのは、女としては感心しない。が、並よりも整った顔の彼女らに粋だと褒められるのは、悪くなかった。

 ふと菊之助は、遊女らがやんやと騒ぐ道の反対方向に目をやった。褒められてたるんだ精神が引き締まり始める。

角町の区域一帯の河岸だけは、やけに閑散としている。半歩踏み出した。それだけでも、そこの空気が異質であることは明々白々と感受できる。

悪寒、緊張感に近いもの。妖気とかいうもの、だ。


 菊之助は無意識に刀の柄をいじくった。

 そこで段田がこう口を切った。


「ここの遣手(遊女の世話役)からの依頼は」


 おじけづかないのは、さすが人外なるものといったところだ。段田はそのまま涼しげに続けた。


「数日前から厄介な女がこの長屋に入り込んだ。奇怪な女で客も逃げて行ってしまうから、早急に追い払ってくれ。とのことだ」

「奇怪な女?なんだい、そいつあ」

「見ればわかるだろうさ。ついでに、今までの浪人が仕事を放り出して逃げ出したわけも、わかるはずだ」


 段田はそうはぐらかす。口に富士山を描いて、菊之助は大股で長屋に近寄り、その戸を力いっぱい開けた。