(しかし、おかしいな)


 まじまじと、菊之助は眼前にいる美貌の男を直視する。


 人があのように至近距離に近寄れば、菊之助でなくとも誰だって、その気配に気付くはずだ。


全くと言ってよいほど、彼は人の気配を感じさせなかった。


化生の者には絶世の美形もいるというし、もしかするとこの男も妖の仲間かもしれぬ。


(斬るべきかな……)

 菊之助は無意識に抜刀しかけた手を抑止した。


いくら相手が妖しい人物であろうと、それだけで人を斬っては罪に問われる。


 菊之助が思った途端、男は左手を左右に振って、南蛮風の書物を開きながら、


「いいや、斬っても無駄だろう」


 と、言った。


「えっ?」


 身構えていた菊之助は瞠目した。


 斬っても無駄、とは、彼は鎖帷子でも巻きつけているのだろうか。


そう考えたが、今は二の次。


 なぜ、自分が抜刀しようとしていたのが分かったのか。

こいつは何者だ。


 すると男がよくぞ聞いてくれた、無垢な表情になり、


「段田李音」


と、聞いてもいないのに名乗り、宙に字を書いた。


 段田(だんた)李音(りおん)とはまた、妙な名である。

苗字はともかく、李音という名はどこか南蛮めいていた。


「お、お前、口入れの者か?」

「うむ。段田を姓、李音を名にしたのさ」

「変な名前」


 菊之助は率直である。


段田という男は細い腰に手を当て、ふう、と吐息をついた。