菊之助は乱暴に腕を背後に振り、しゃがんで大きく三歩踏み出した。

そして男を睨み付け、


「なにをするっ」


 と、怒号をぶつける。


――――そこで菊之助は、小さく開けた口を閉じられなくなった。


 先ほど顎を乗せてきた気障な男は、細身のくせに身の丈が六尺ほどの長身だった。


齢は二十半ばくらいか。肌が抜けんばかりに白く、切れ長の目に埋め込まれた瞳は漆黒だ。


瞳と同色の髪は奇態そのもので、絡み合った蛇の塊のような、うねりのある長髪を旋毛辺りで結んでいる。


細やかな美貌の男だ。

黒い生地の着流しを悠々と纏い、南蛮風の分厚い書物をしっかりと小脇に抱えている。


「おや、こんな静かな所で大声を上げるなんて、野暮ったいじゃないか」


 男が微笑んだ。


 お前のその乱れまくった髪型のほうがよっぽど野暮ったい、菊之助は言ってやりたくなる。


「お前が人の頭に顎なんか乗せるからだろ」


 菊之助が牙を剥いた。


「君が立っていた位置からは、白菊がいつになく美しく見えたのさ」


 男は悪びれず、それが正当な理由であるかのように述べた。

しかも、その面に灯した笑みを毛ほども崩していない。