ヴラドは妖しく口角を上げた。まるで悪代官のような笑顔である。
「無論、そうだ。この子供はお前の仲間であろう」
「そんなところだな、今は」
段田は“契約上の仲間”の事を言っているらしい。やはり妖にしか興味を持たぬ薄情者だ。
「では俺の言いたい事も、理解できような」
段田は薄情者だが、このヴラドという男は卑怯者だ。仲間の首を掻っ切られたくなくば、大人しく殺されろと言いたいのだろう。何かまた冷徹な言葉を返すのかと思われたが、段田は形の良い唇を引き結び、急に黙り込んだ。
杭が飛んだ。
その木の棒で振り払えばいいものを、段田はそれをしない。杭の先端が段田の脚をかすめると、純白の床に黒い花が咲く。美しい漆黒の着流しが破け、死人のような肌が垣間見える。
(なんてこった)
菊之助は目を覆いたくなった。自分を助ける気など微塵もないように振る舞っていたくせに、いざ人質に取られて脅されると、段田はそれにすんなりと従っているではないか。
菊之助から見れば、段田はかなり深く肉を抉られた。しかし漆黒の血を流す当の悪魔は、痛がる様子も露わにしない。休む間もなく幾つもの杭がその身体を傷つけても、段田は普段通りの涼しい面差しだった。
一方で、菊之助は身動き一つできないというのに、まるで自らが傷を負ったように悲痛な声で喚いている。
「旦那!なにしてるんだ、やっちまえよっ」
菊之助はうるさい。
串刺し公はそれを煩わしいと思ったようだった。ヴラドが軽く手を払うのと同時に、菊之助の両手首がさらに締め上げられた。
「ぎゃっ」
両手首が締め付けられ、骨同士がぶつかり、圧迫される。じわじわと身を襲う激しい鈍痛に、菊之助の刀を持つ手が緩む。それでも歯を食いしばり、惨たらしい悲鳴を抑える。
「菊之助」
心配しているというよりは窘めるような声色で、段田は菊之助を呼ぶ。
それを、ヴラドは双眸を爛々とさせて窺っている。段田が責め苦に負けて死ぬのが先か、この少年剣士が痛みに負けて刀を手放すのが先かを予想しているようでもある。
「おいこら、旦那ってば!」
菊之助は本当にうるさい。仕舞には半ば泣き声になって怒鳴りはじめた。
「少し待て、子供侍」
喧騒な菊之助と違い、段田は落ち着きを払っている。
「頼むから喚くな。無闇に喚いて、彼の殺意を煽るんじゃない。君の命は、私にくれるんだろう?だったら私に救われるのを待て」
段田は契約の代償として菊之助の命を貰うつもりらしい。
「なに」
段田の台詞は、逆に串刺し公を煽った。額に青筋を浮かせたヴラドは石像のような表情になると、さっと右に手を払った。
ひょう、と二つの一閃が走り。
ぶつり------と。一拍おき、男の拳ほどもある太い杭が段田の心の臓あたりを貫いた。段田は菊之助と対峙したまま、目を剥いて仰向けに倒れる。悲鳴もない、一瞬の死だった。
「だっ」菊之助は絶句した。
段田を中心とし、漆黒の水が円形に広がる。敷き詰められた石の間隙に、それが柔らかに浸透してゆく。
広がる血の池。虚ろな眼。抉れた肉。うっすらと開かれた口。そして真っ白い骸。
「旦那‼」菊之助は叫んだ。
目を覆いたくなる。眼を覆い、耳を塞ぎたい。しかし手足がこの様であるために、もちろんそれは叶わない。
ヴラドはそんな菊之助など気にも留めず、面妖にも掌から生えた杭を獲物の背に突き立てる。
ずぶり、と。硬い肉に杭が埋まり、菊之助は口から朱い霧を吹いた。
「げ、え」
菊之助からも、阿鼻叫喚は聞けなかった。痛みさえ感じなかったのか、菊之助はそのまま息絶える。
「くっ」
ヴラドは焦れて、菊之助の骸を投げ捨てた。音もなく骸が転がる。
人の子ひとりと、あの黒髪の男を含めた化け物数匹を殺したが、どれからも悲鳴は上がらなかった……。
串刺し公は、己が生きていた日を思い返したのだった。
叙任された当初は、国のため、ルーマニア独立のために尽くそうと奮起していた。ただそれだけを想って、だ。
それがいつからか、生きながらに串刺しにされる者の絶叫が、泣きわめき助けを乞う者の声が、甘美な唄のように聴こえるようになっていった。
これは非道の所業であると、心底ではわかっていた。それでもその絶望に彩られた声を聴くと、おのずと心が満たされ、恍惚な貌になるのだった。
自国の兵士に敵と見紛われ、無様な戦死を遂げたのちも、その欲求を心に積もらせたまま様々な国を彷徨った。黒き肌の屈強そうな者を、ひ弱そうな白い肌の者が酷使する国。仙山の頂上を蛇のような怪物が舞う国。そして死後四十日が過ぎようとした頃、かつて“黄金の国”と呼ばれた幻の国、ジパングに流れ着いた。そこはジパングの、武蔵野と呼ばれる地だった。
ヴラドはそこで、百舌の“はやにえ”の瞬間を目の当たりにしたのであった。
百舌は捕まえた獲物を枝に刺し、保存しておく。しかし彼らは時にその獲物の存在を忘れ、獲物の死を無駄にすることがある。
その時、ヴラドは思った。今まで殺してきた者たちは、自分にとっての獲物。その獲物の死が無駄になったとしても、自然界においてそれは残酷な事ではないのだ、と。
欲するものを得るため。そのために、百舌は獲物を、自分は人を殺すのだ。
そう思った瞬間、ヴラドの身体は百舌となっていた。正しくは、百舌の形をした化物、だが。
そうして、化物へと生まれ変わったヴラドは、獲物を求めて飛び回った。この国の化物------アヤカシと称される者たちを捕まえ、人の獲物も手当たり次第に捕らえた。
獲物は多いに越したことはない。
しかしその頃、ヴラドは妙な男が自分をつけまわしているのに気が付いた。
男だ。しかしその男は、人のような気配を発していなかった。人よりも、もっと濃い、寒気のする気配だ。
------人ではないな。
その男がとある茶屋にやって来た時、ヴラドは確信した。獲物に定めた女をそっち退けて、男は自分を睨みあげてきたのだ。その時、まるで凍てついた舌で頬をひと舐めされたような、ひどい悪寒が走ったのを覚えている。あの小脇に本を抱えた色男も、同じ気配を纏っていた。
「魔物ごときに、邪魔はさせぬぞ」
ヴラドは黒煙を周りから消し去り、とどめの一撃と、横たわる少年剣士の喉笛に杭を打ちつけた。
***
春芝は開け放たれた扉をくぐる。そして衝撃の光景を目にし、驚愕ゆえか手の甲を抓る。
菊之助が、背と喉に杭を打たれて絶命している。左に目をやれば、段田も右胸に穴を穿たれて死んでいる。おいおい、と春芝は心のこもらぬ笑声を零す。
「貴様は……」
菊之助の脇に立つ南蛮風の男、ヴラド公が、春芝を前に殺気立つ。
「この二人、おめえが殺したのか?」
にわかに信じがたいのか、春芝は問う。ヴラドは鼻を高くし、「そうだ」と答える。
「あれは貴様の仲間か。……魔物のわりには脆い奴であったな。杭で刺しただけで死におったぞ」
「悪魔に勝てて、随分と嬉しそうじゃねえか。……水を差すけどよ、野郎が本当に死んだのか、ちゃんと確認したのかい」
「なんだと?」ヴラドがその言葉に食いつき、声を荒らげた。
同胞である段田の骸を目の前にしても、春芝はそれを冷然として疑っている。
「あの悪魔が刺されたくらいで死ぬと思うか。ちっとは疑えよ。相手は人じゃねえんだぜ」
「何が言いたいのだ」
苛立ったヴラドが春芝との間合いを詰める。間合いは一寸ばかり。確実にこの男を仕留められる。万が一、避けることができたとしても、辛うじて急所を外せるくらいだ。
しかし何の意味があるのか、春芝は不意に己の首筋に手刀を当ててみせた。
「だから、あの段田って野郎は」
そこで春芝は歯を見せて笑う。------直後、間髪入れずヴラドの首が刎ねられた。
「野郎は幻術の天才なんでい。なあ、菊之助」
首を失って頽れる胴体の背後から、鬼子のような剣幕の菊之助が刀を下げて現れた。
喉を貫かれて死したはずの、菊之助である。
「いつから、俺に気付いてたんだ?」
刃を鞘に収めた菊之助がおもむろに問う。春芝は片目の瞼を伏せ、徐々に消えていく黒煙の残滓を指差した。
「おめえ、あの煙の下に潜り込んでいたろう。俺から見りゃあ一発で分かったが、まあ、灯台下暗しってやつだろうなあ」
「どうして俺がもう一人いるのかは、わからねえけれど」
菊之助は訝しがって、もう一人の自分の骸をちらと見やる。
段田が串刺し公の毒牙にかかって死す寸前のことだった。杭が放たれたのと同時に、何かが段田の手から菊之助に向かって飛んだ。二つの、手裏剣のような形の白刃であった。それが菊之助を拘束していた黒煙の縄を絶ち、手足に自由を与えた。しかし、これまた面妖なことに、黒煙の紐はしっかりと、もう一人の菊之助を捕らえていた。
黒煙は厚い壁のようだったが、ふわりと宙に浮いていた。しかもこれはヴラドの意思で動くらしかった。そこで菊之助は、段田が死んだ後も、じっと息をひそめて、敵将の首を狩る機会を窺っていたのだった。


