人など何人減っても変わらない。そう言っていたくせに、段田は《ついで》で人を助けるようだ。矛盾している。しかし、こんな嘘をつく段田は、案外好きかもしれない。
「------旦那はいい男だな。俺、そういう旦那は好きだよ」
「私を口説くつもりなら、まずは奇麗な着物を着こなせるようになるんだな」
「そういう意味じゃなくて……」
頭を左右させる菊之助だが、ふと段田の言葉に違和感を覚える。おい旦那、と呼ぼうとした。しかし段田が突然に足を止めた。菊之助は次の瞬間、つい言葉を失った。
段田が真横にある茶褐色の扉を、乱暴に蹴破ったからである。
「舞踏会はここですかな?“串刺し公”のヴラド三世どの」
扉から部屋に押し入る段田は、菊之助でも身の毛が逆立つほど冷徹な瞳をしていた。
円形の部屋には家具も何も置かれておらず、物足りなさがある空間だ。しかし天井がやたらと高く、上を仰げば首を痛めるほどである。純白の部屋では、段田の黒い着流しが際立つ。
段田が睨む先には、あの紅毛碧眼の男がいた。肩に例の百舌をとまらせ、余裕の表情で、南蛮の貴公子のような服を身に纏っている。
菊之助は男の姿を捉えるや、素早く鯉口を切った。すると段田が左腕を伸ばし、菊之助を抑制する。
「く」男が狡猾に笑んだ。
菊之助は思わず足がすくむ。男の笑みに、ではない。男がその大きな口を開け、もうもうと燻る黒煙を吐き出したからである。おぞましい、としか言いようがない。
刀を落としかけた菊之助であったが、眼前に段田の腕があったからか、腹から湧き上がる内なる闘志からか、菊之助は正気を保っていられた。
「------人ならぬものが近づいて来ておるとは思ったが、本当に人外のものであったか」
男------ヴラド三世は舌舐めずりをする。
「異相の大公爵、ダンタリオンと申しまする」
段田は敵前にして、あたかも貴公子のように胸と背に手を添え、上品な一礼をする。ヴラドはそれを見るなり、
「串刺しにされた怪物に悲鳴も、聞いてみたいものよ」と雅に目を細めた。
二尺ほどの杭が一本、その手にある。
***
百合は今、自分がどこに居るのか見当もつかない。
薄暗いう石造りの部屋の中、自分を含め数人の人が横になっているのが分かる。百合は先ほど目を覚ましたが、彼らはまだ意識がないらしい。
ここがどこなのか、あの異形のような男は何者なのか。百合は多くの謎に苛まれて混乱するも、目だけはじっと出口を探している。
ここは八畳ばかりの部屋だが、どうしたことか戸口が見当たらない。無論、戸口無くして人が入ってくることなど不可能である。
(あれかしら)
百合は部屋の隅にある、人の丈ほどの横長の箱に目をつけ、さっとそれを開けた。
しかし、
「ひっ」百合は青ざめて尻餅をつく。
人の“されこうべ”だ。大小様々なされこうべが、ぎっしりと箱に詰められているのだ。
百合は体が震えるのを感じる。箱から漂う悪臭が、その感情をさらにあおる。
(誰が、こんなことを……)
百合の頭には、あの不気味な男の面が浮かんでやまない。
(お菊……)お菊はどこだろうか。
百合が部屋中を見渡しても、菊の姿はない。百合は森閑とした部屋の中で唖然としていたが、きっ、と魂が入れ替わったかのように立ち上がる。
早く帰らなくては。お菊の身も心配だ。父も母もいない今、あの子の家族は自分しかいない。自分は、いなくなってはならないのだ。
百合は恐怖に打ちのめされかける己に言い聞かせ、手で壁に触れながら戸口を探る。
刹那。
石の砕ける激しい音を立て、すぐ右の壁が破壊された。瓦礫が飛び散り、砂塵が吹き荒れる。百合は砂塵から目を守りつつ、壊れた壁から入ってくる人物を捉える。
おなごの如き禿の髪型、細い目、格子模様の着物に股引、百合はその姿格好には見覚えがあった。
いつぞや茶屋にやってきた男客------春芝である。
(この人は)百合は息を呑む。
春芝はそんな百合を斜視して、
「なんだ、おめえも攫われてたのかよ」と、気怠さを目に湛えた。
そして、一、二、三、四と、部屋に転がっている人間の数を、指折り数えて勘定する。
「攫われたっていう妖どもの姿が見当たらねえな。もうとっくに殺されちまったか」
春芝は、何やらわけのわからない事を独りでぼやいている。
「あんた、ここに何しに来たの?」
彼は何処から、どうやってここに来たのだろうか。突然の出来事にこんがらがるも、百合は春芝に問うた。しかし春芝は下品に唾を吐き捨て、「後だ」と言って背を曲げる。するとどうしたことか。曲がった背中の頂が、ぼこり、と山なりに盛り上がった。
(あれは何?)
突如現れた禍々しい“それ”に、百合は呆然と立ちすくむ。
百合の目など気にかけず、春芝が上半身を包んでいた着物を脱ぐ。
「うっ⁉」ぎょっとして百合は瞠若する。
春芝の背中から、六本の腕が生えているのだ。それらはみな指先に一寸ほどの爪を有しており、肌は亡霊のように白い。
「いちいち騒ぐんじゃねえやい」
気を失った人々をその腕に抱え、春芝が百合をたしなめる。そして、
「ちょいと待ってな。腕が足りねえ」
とだけ言い残し、腕に複数の人を抱えて部屋を走り去っていった。いや、走るという軟なものではない。春芝は、ごう、と風を鳴らすや、瞬く間もなく部屋から消えていたのだ。恐ろしい速さである。
そんなに出口が近いのか、待つまでもなく春芝は独りで部屋に戻ってきた。それにしても、春芝の足の速さは常人を逸していた。
そして、
「あの人間どもの中に女はいなかった。となると、おめえが菊之助の姉貴だな」
と、着物の袖に腕を通しつつ、百合に確認をとる。
「き、菊之助?」そんな男は身内にはいない。
初耳の名前に、百合は呆気にとられる。
そんな百合に構わず、春芝は襟を正す。視ると、あの不気味な腕は背中から消えていた。
「そう、あの喧しい餓鬼だ。姉ちゃん姉ちゃんとうるさいからよ、たまったもんじゃねえ」
姉ちゃん。お菊は百合をそう呼ぶ。
お菊の事を言っているの?------そう言いかけた百合だったが、直後、ばりばりと何かを砕く音が部屋の空気をつんざく。
振り返れば、いつのまにか春芝がされこうべの詰まった箱に歩み寄り、そのされこうべを掴みあげ、なにかを咀嚼していた。なんと、頭蓋骨をかみ砕いて喰っているのである。
この世のものとは思えぬ光景であった。
「久しく、人の髑髏を喰ったな」
最後のひと欠片を呑みこみ、春芝は満腹になったのか腹をさする。
あり得ない。硬い人の骨を、いとも容易く噛み砕いて喰うなど。百合は眼前の異質な存在に寒気を感じずにはいられなかった。彼は妖か、もしくは化生の類か。
腹ごしらえをしたらしい春芝は、自分と目が合うなり身構えた百合に背を向ける。
「待たせて悪いな。なにしろ、好物だからよ」
いうや、春芝は有無を言わさず百合を背負い上げた。急に体が浮き、百合は狼狽する。目を覚ました時から驚いてばかりだ。
「ちょ、ちょっとあんた」
百合は首をもたげた。
「菊之助って、お菊の事?お菊を知ってんのかい。だいたい、あんたは何者なの」
百合は春芝の首根っこを掴んで前後に揺する。
「姉貴も喧しい奴だな」
春芝は疲れ果てたように瞼を伏せる。
「目は閉じてな。さもねえと潰れちまうぜ」忠告するや、春芝は素早く地を蹴った。
ごう、と感じたことのない圧力が、春芝の
走る方向から百合の額へと押し寄せる。百合は風圧に耐えかねて、春芝の背に顔を埋めた。
長い通路を、走る、走る、走る。しかも尋常ではない速さで、だ。幼い頃、父はよく百合を背負って走ったりしたが、当時のような、背負っている者が地面を駆ける際の揺れは一切感じない。
これは、空中に浮いた身体が、突風で何処かへ飛ばされるような------そんな感覚である。
「ねえ、ねえってば」
百合が背中から声を掛ける。春芝は前を向いたまま、「なんだ」と返した。
「あんたが言う菊之助っていうのは、お菊の事なの?どうしてあの子を知っているの?」
「お菊?そんなやつ知るかい。俺あな、菊之助が通ってる口入れ処の者だ。日本橋辺りにある、妖花屋ってとこだよ。妖退治専門の……」
口入れ処と聞き、百合は心の臓を突かれるような気分になった。
菊が“剣の仕事”を求めて口入れ処に出入りしていたことは知っていた。殺しだとか斬り合いだとか、そんな物騒なものではなく、あくまで用心棒といった所の仕事だ。それでも、菊之助は一度だけ大怪我をしたことがある。


