段田の嬉々とした貌は、先ほどの真剣な面影を形無しにする。
段田は気分転換の早い男だ。
「ごらん」
店の外に出た段田は、前に広がる光景に向かって腕を伸ばし、隣の菊之助に囁きかけた。
菊之助は息を呑んだ。
曇天の下にある、江戸の街並みの一帯に、紫の濃霧がかかっている。
ひゅうどろひゅうどろ、と朱い小火が、幾つも宙で燃え盛っている。
その小火……鬼火を先頭に、奇天烈な影が大移動をしていた。
百鬼夜行だ。
赤鬼、蟒蛇、犬神に髑髏に大蛙と、多種多様な妖たちが群がり、巨大な列を成しているのだ。
だが正確には、これは百鬼夜行ではなく、単なる妖たちの行進だ。
真の百鬼夜行は上方の都に現れる。
妖の数も、これよりも多い事だろう。
それでも菊之助は、初めて目にした妖の行列に腰を抜かした。
「すげえ。
妖がこんなに群がってらあ」
「私もはじめてお目にかかるが、うむ、絵に描いて残しておきたいくらい、素晴らしい」
この光景を素晴らしいと評価するのは、段田くらいである。
しかし菊之助も、この絵巻のような妖の大行列には衝撃を受けた。
幼少期から妖を視てきた菊之助でも、こんな大群には初めて出くわす。
実に稀な体験をしたように、菊之助は感じた。
妖どもは、行き交う人々の間をすり抜けて、
「いやはや、もう江戸には住めぬなあ」
「毛女郎は運よく逃げおおせたらしいが」
「おう、恐ろしや。
異国の化物とかいうのは」
「あいつあ、好き勝手しやがるからな」
「奴は気に食わねえが、命が大事だ」
「ああ。あいつは危険だ」
妖どもは口々に愚痴をこぼしている。
群れの中には、二足歩行をする妖兎の母子の姿もあった。
「ほら坊や。
早くしないと、あたしらも奴に喰われちまうよ」
「待ってよう、かあちゃん」
子兎が急いで後ろ足で歩くのをやめ、四肢を使って母兎にすり寄る。
その愛らしい様は、菊之助の身の奥をひどく掻き乱した。
菊之助も、ああやって百合にとっついて、すってんと転んで膝を怪我しても、すぐさま体を起こして姉の許へと走ったのだった。
記憶にある姉の残像と、母兎の小さな体躯が重なる。
「妖たちも、あの黒煙の化け物か逃げてるのかな」
菊之助がぽつりと言った。
「きっとそうだろう。
全員で、どこか人知れぬ場所へと避難するつもりだな、見るからに」
「……旦那よ」
菊之助は儚い眼差しで、妖の行進を見届けていた。
「なんだか明日にゃ、江戸の町が寂しくなりそうな気がするよ」
「妖がいなくなるからかい?」
「おう」
妖と人はまったく別の生き物だ。
人のすぐそばで、長く生活を共にしてきたにも関わらず。
しかしそれでも菊之助の中では、妖もすでに江戸の民の一員だった。
だからだろうか、江戸からごっそり出奔してゆく妖たちを目の当たりにして、菊之助は切なくなった。
「寂しいと思うと、な。
ますますあの黒煙の化け物が憎たらしくなるんだ」
しばし妖たちの行進を真摯に眺めていた段田は、優雅に頬の肉をほころばせてみせた。
「私は君と気が合うとは思っちゃいない。
けれど、あながち利害は一致しているらしいな」
大通りの道をせかせかと闊歩する群れの、最後尾である一匹の鬼が過ぎ去ってゆくのには、少しばかり時間がかかっていた。


