「……そう思うのは、良い事よ。
けれどね」
「うん」
「何があっても、自分が危ないと思ったことは、するんじゃないよ」
百合もまた真剣になるなり、これを諄諄と菊之助に言うのだった。
百合がなぜそう言うのか。
その訳を菊之助は知らぬ。
記憶を辿れば百合が伝えたい事を解せるだろうが、そのきっかけが無い。
「いや、戦に行ってくるんじゃないんだから。
姉ちゃんだって、膝こぞうの怪我には唾だけつけて済ましてたじゃないか」
「擦り傷と致命傷は違うでしょう。
あたしが気がかりなのは軽い傷じゃなくて、大怪我のほうさ」
「大怪我?まさかあ。
大火事のなかに突っ込んでくんじゃあるまいし」
平気平気、と笑いつつ、菊之助は内心、警戒という塵で山を作っていた。
異国の妖。
それは火事と同じくらい厄介なものかもしれぬ。
“あの化け物、いづれはこの辺りの町も狙うだろうから”
毛女郎の忠告の一端が脳裏に光の線を放つ。
この辺り。
不忍池から柳橋、柳橋から日本橋へ来る、と言ったのだろう。
それは日に日に、人や妖が攫われる危険が高まっていくということになる。
菊之助も百合も、他の者達もだ。
「俺、切り刻まれたって死なないからな」
菊之助は自分たちが住まう町に南下してくる、何者かに向けたつもりで呟いた。
それを偶然にも、百合の耳が拾ったのだった。
「なにそれ。
切り刻まれるだなんて、野菜ならいいけど、人を斬り刻むのは、おぞましいわ」
百合は身震いをして、斬るという行為への嫌悪を動作で表現してみせた。


