*
時は夕七つ---------。
魚河岸は朝方ほど混雑してはいなかった。
江戸の人々は基本、朝早くから昼過ぎまで働くことはほとんどない。
春芝は遠巻きに魚河岸を眺めていた。
一日に千両が行き来すると名の知れた魚河岸、日本橋の市場である。
「人間ってのは、呑気だな。
すぐ傍らに敵が迫ってきてるってのによ、みんな、笑顔でいやがる。
知らぬが仏たあ、このことだな」
春芝はいつになく清閑としていた。
荒んだ覇気も灼かになり、切なさとも称せる表情が発露されている。
横に居る段田は魚売りに一瞥をくれた。
「魔王に次ぐ高等な悪魔とは思えない言葉だねえ。
しかも人々を脅かす怪物の正体を嗅ぎつけるべく、道も把握しきれていない江戸の町を探索していただなんて。
悪魔としては許されざる行為だ」
段田は茶化しているような口ぶりだったが、腹の底はどう思っているのかは、同朋の春芝にさえ測れない。