「この桜の樹の下に、私は貴方を埋めました。それから毎年、春になって桜が咲くと、ここで貴方があの日のように待っているようになりました。私は毎年会いに来るのに、貴方は毎年私のことを忘れてしまっている。自分が誰を待っているのか、私が誰なのか、そして、自分がもう死んでしまっていることも忘れてしまっている。」

「やめろ。」


にじり寄る女を、男は必死で振り払おうとする。
耳をふさいで何も聞くまいとする。
女は哀しげな声で淡々と続ける。


「きっと私が頭を殴ってしまったから、何もかも忘れてしまっているのでしょうね。悪いことをしたわ。自業自得かもしれない。どうしても貴方に私のことを思い出してほしいのに、毎年貴方は彼女のことしか思い出してくれないんですもの。」

「やめろ!」

「あの時待っていたのは、私のことだったはずなのに!」

「やめろ!!!」

「ねえ、私の顔をよく見て。思い出して。貴方がさっきまで待っていた恋人の顔は、こんな顔ではなかった?」


男は、悲鳴をあげて暗闇の中へ逃げて行く。

生ぬるい風が吹いて、花吹雪を散らした。
花びらの中に、男の背中が消えてゆく。
女は、それを黙って見つめていた。


ひらひらと、はかなく桜が舞い落ちた。
また今年も、彼女の恋の終わりを告げるように、はかなく。

けれどそれはひどく愛おしい気もしていた。
まるであの日の彼の去り行く背中のように、散り行く花びらは切なく愛おしかった。



「桜が、私を狂わせたのです。あの一瞬の、舞い落ちる桜が…」



終わり