「え! ついに行ったの⁈」


あれから数日後、楓は雑巾片手に声を上げた。


「おう。思い立ったら即! 行動派」
「それがケンだよねぇ。それで、どうだったの?」
「見ての通りだ」


小さなダンボールをふたつ床に置いて、ケンは自分の口元を指差した。


「そういう事情(こと)だったんだ、それ……」


口の端に小さなテープを貼っているのには気付いていた。
その理由まではわからなかったが、話を聞いて理解する。


「今まで殴られたことなかったけど、そんくらいキレてたなぁーオヤジ」
「収集ついた?」
「まー、元から兄弟ん中でも落ちこぼれで、家出までした息子だったからな。どっかで予想してたんじゃね? だけど、腹の虫が収まらなくて一発。ってとこか」


ぼりぼりと頬をかき、あっけらかんとした様子でケンが言う。


あの日から、楓はホストクラブに行かなくなった。
そしてそのあとすぐに、ケンもホストを辞めた。

ケンは一度実家に帰り、正面から話をつけてきたのだ。
父や兄たちと同じレールに乗ることを辞め、自分でしたいことを見つけたい、と。

痛い目には遭ったケンだが、清々しい気持ちで家を後にしてきた。

『たまに近況くらい、知らせろ』

ボソッと父がケンの背中にそう言ったらしい。その言葉を受けてから、切れた口の痛みも違うものに変わった。


「きっと、本当に見放されてたらわざわざ自分の手まで痛めてオレを殴ったりしないんじゃねぇかな、とか思ったりしたんだよな……」


傷を抑えながら独り言のように言うケンの顔は、気付いてないだろうが、なんだか嬉しそうだった。

そして楓はというと、幸運にも仕事がすぐに見つかった。
小さな設計会社の事務だ。

まだ通い始めて1週間ほどだが、まずまずの感触に、続けて行けそうな手応えを感じていた。


「それで“反抗”やめて、髪の色も戻したんだ。上手に染まってるね? 自分でやったの?」


部屋の片隅にある姿見は、堂本のアパートから持ってきたもの。
それに映るケンを見て言った。


「反抗ってわけじゃなかったけどよ……あ、これね。レンさんに店最後の日やって貰ったんだ」
「え⁈ レンさんに⁈」


まだひと月も経っていないのに、『レン』という名が懐かしい。