『俺は別に、お前に直接会って話をしなくてもよかった。少し話が聞ければ良かったんだ。だけど、菫さんのあの表情を見てしまったから――

別にいい、というならそれで構わない。もし、お前が知りたくなったなら、これを使えばいい』


洋人は一連の過去には触れずに、菫の様子だけを堂本に説明して去っていった。




「ちっ……親父め。“だから”わざわざおれの前に現れたっつーのか」


堂本は洋人から渡されたメモを見ながら悪態をついた。
それでも、本心からではなく、やはり父にどこか懐かしい思いを抱きながら。

堂本にとって、父である洋人は離婚のときまでは尊敬もしていたし、心で慕っていた。
詳しく踏み込みはしなかったが、その父が、まさかの女性関係で母が離婚を切り出したということを知っている。

しかしその頃から、堂本は冷静で大人びた思考だったため、洋人を恨んだりすることなく、“大人の事情”だと割り切って母について行った。

おそらく――父は遊びで女性に手を出したのではなく、本当に惹かれる相手だったのだ、となぜか思えた。
だから父を責める気にもならなかったのだ、と堂本は思う。


運転席のシートを下げて、ハンドルに足を乗せる。

堂本は天井にかざすようにした紙切れをいつまでも見ていた。


「ったく。おれの心配よりテメェの心配しろっての。バツイチ独身の年寄りが」


やれやれ、といった態度で、左手に持つメモ紙を右手の指で弾く。

「ふ」と息を吐くと、それをポケットにしまい、目を閉じた。


(大概自分がいやになる。歳をどれだけ重ねても、菫が忘れられないんだからな……。この連絡先だって、捨てることも出来るのに。この期に及んでまだ繋がっていたいんだな、おれは)


瞼の裏側には、19(当時)の菫の姿が浮かぶ。
さらには、自分で勝手に創り上げた30(現在)の菫を想像している。


「……そろそろ――いっぺん会って、清算した方がいいのかもな」


静かな車内に独り言を漏らし、手の甲を額にあてた。


(幸せな菫に会いさえすれば、この諦めの悪い想いが吹っ切れんだろ)


自分に言い聞かせるように、胸の内で思うと、堂本は半ば無理矢理眠りにつこうと、さらに強く目を閉じた。